作品タイトル『サンタクロースの処方箋』

 3.

「……で、一体どういうことなんだ、これは」
 頭を抱え、類が呻く。
「どういうって……?」
 真顔の杏子。
「どういう経緯でこうなった?」
「経緯っていうか……街に遊びに来てたら、なんか、路地から鈴の音が聞こえてきて」
「……それで」
「気になったから、なんとなーく路地を覗いてみたら、サンタクロースがいて」
「……それで」
「本物のサンタクロースだ!≠チて思って、捕まえてみたの」
「どういう理屈だよ、それ!」
 思わずツッコむ。
 目の前にいるのが本物のサンタクロースかどうかは別として、そもそも人間を捕まえる≠ニいう行為の意味がわからない。
 類は深く息を吐いた。
「とにかく、この縄ほどこうぜ。無抵抗のじいさんを縛り上げて……いじめだろ、これ」
「だめよ、そんなことしたら逃げちゃうじゃない!」
 凄む杏子。人格が変わっている。
 老人はそのやりとりを眺め、諦めたように項垂れた。
「……我妻、お前、罪もないじいさんをいじめて平気な奴だったか?」
「もちろん、普通のおじいさんなら平気じゃないわよ。私、おじいちゃんっ子だもの。だけど、この人はサンタクロースなのよ!」
「……って言うけどなあ、どこに証拠があるんだよ」
「なんとなくよ!」
 どうやら、杏子の口癖はなんとなく≠轤オい。なんとなく≠ナ行動しておきながら、その自信はどこから来るのか、類には一生解けない謎である。
「なんとなく、で人を縛るなよ」
「いいじゃない! ……願い事があるんだもの」
 最後の方は小声になる杏子。
 ――願い事?
「……我妻、サンタ≠七夕か何かだと勘違いしてないか?」
「してないわよ。サンタクロースは、願いを叶えてくれるって言うじゃない」
「願い?」
「プレゼントよ。欲しいものをくれるって言うじゃない」
「……あのなあ、その対象はコドモだけだろ。俺らみたいな高校生には無理だって」
 その言葉に、初めて杏子の表情が揺れた。頑なだった瞳が微かに潤む。
 ――なんだよ、これじゃあ逆に俺が我妻のこといじめてるみたいじゃないか。
 それに、我妻がこうまでして欲しいものって、一体何なんだ?
「……まあ、とにかく」
 類は一つ咳払いをし、「この縄は、ほどくぞ」
 促すと、今度は杏子も素直に頷き、類と共に縄を慎重にはずしていく。
 枷の取れた老人は、不思議そうに類と杏子を見上げ、安堵するかのように優しく微笑んだ。その傍には、こんもり膨らんだ白い袋がある。
 類はしばらく老人を見つめ、
「……じゃ、もう早く行けよ。バイトだか仮装だか知らねーけど」
 と言って手を振った。
 杏子が不思議そうに類を見る。
「行かせちゃうの?」
「俺、別に願い事ねーもん」
「……相変わらず、無気力なのね」
「うるせー」
 杏子の皮肉な言葉も、感情をむき出しにした彼女を見た後では、むしろ可愛いとさえ思える。少しぐらい友人に冷やかされても、この後、杏子と一緒に合流し、みんなでささやかなクリスマスパーティを開くのも悪くないかもしれない、などと類は思い始めていた。
 少し和やかな空気に包まれる二人を眺めながら、老人はゆっくりと立ち上がると、袋を背負って微笑んだ。
「……二人とも」
 澄んだ声音で話しかける。「これから、一緒に……来るかい?」
 ――一緒に……。
 何を言われたのか分からず戸惑う類。
 傍らで、杏子が間髪入れず叫んだ。 
「――行く! 連れて行って!」
 そのまま老人の傍へ歩き出す。
「ちょ……待てよ、我妻」
 思わず杏子の肩に手をかける。「一緒にって……なんだよ」
 その問いに、老人は穏やかな笑みを浮かべた。
「一緒に、こどもたちにプレゼントを配らないかい? 少しだけ手伝ってほしいんだ。……なあに、すぐに終わるさ」
 言うが早いか、老人はゆっくりと片手を挙げた。次の瞬間、彼の足元が淡い光に包まれ、中から金色に輝く光の粒が現れた。それらはまるで守るように老人の足元を包み込むと、明滅しながらゆっくりと渦を巻き始めた。
「な、なにこれ……」
 かすれた声をあげる杏子の足元にも光が現れた。
「なっ! なんだよ、これ……」
 叫ぶが早いか、類の足元にも現れたそれは一瞬で三人を包み込み、ゆっくりと舞い上がった。光の渦に支えられるようにして、三人の体がふわりと宙に浮く。
「きゃあっ……う、浮いてる」
「……飛んでる!?」
 両足を空中でバタつかせながら暴れる二人の傍で、老人は微笑みながら直立していた。
 三人の身体はみるみる上空へ浮き上がり、とうとう狭い路地を抜け出した。三人の四方を囲っていたビルの壁が眼下に見える。
 開かれた二人の視界に、鮮やかな街並みが飛び込んでくる。漆黒のカンバスに散りばめられた色とりどりのイルミネーション。広場にあるサンタやツリーを形どったそれらが、今は小さな瞬きに見える。見下ろす街全体がひとつの光のオブジェのようだった。
 ――類と杏子、そして老人は、瞬く間に地上から30メートル上空まで浮き上がっていた。
「……きれい」
 眼下に広がる光景を眺め、杏子が呟いた。宙に浮いているという恐怖と、その非現実的な事態のことはすっかり頭から消し去り、食い入るように夜景を見つめている。その表情は、普段のポーカーフェイスの彼女とは打って変わって、幼い少女のようだった。
 体勢を崩しても落下しないことを確認し、少しだけ冷静になった類は、今夜初めて見るその杏子の横顔を見つめた。遠くの光に照らし出された彼女の頬は僅かに紅潮している。
 ――こうやって見ると、こいつも普通の女子なんだよな。色々……偏屈とか言われてるけど、単に感情表現が下手くそなだけなのかもな。
 類は、このあり得ない状況の中で知った杏子の意外な一面に感心していた。
「……ね、きれいね」
 ふいに、杏子が振り返る。間近で視線がぶつかり、類は思わず目を逸らした。
「……ああ、まあな」
 なんとなく照れ臭く、ぶっきらぼうな返答になる。
「どうかしたの?」
「……別に」
 そんなやりとりを背後で眺めていた老人は、小さく息を吸い、
「さあ、そろそろ仕事を始めようかな」
 と、静かに呟いた。
 はっと我に返ると、老人の腕に抱えられていた大きな袋が、黄金の光に包まれているのが見えた。
「……おじいさん、やっぱりあなた……」
 言いかけて、杏子は口をつぐみ、真っ直ぐ老人を見つめた。
 彼は優しく微笑むと、
「……この袋の中にあるプレゼントを、今夜中に配りたいんだ。手伝ってくれるかね?」
 その言葉に、類と杏子は同時に顔を見合わせた。
 一息置いて、
「ええ、もちろん、手伝います」
 笑顔で答える杏子。
「こんなきれいな夜景を見せてもらったのに、手伝わない手はないよな」
 同意する類。
 老人は満足そうに頷くと、袋の中から、丸く輝く光を一つ一つ手渡し始めた。柔らかな光に包まれたそれは温かく、併せた両手の上でふわふわと浮かんでいる。
「その光を届けるんだよ、こどもたちに」
「これを……?」
 ――どうやって?
 いぶかしがる二人。
「わたしの担当はこのあたりの家々でね。その光はそれぞれの家に贈られるプレゼントなんだよ。プレゼント自身の行先はちゃんと決まっているから、近くに行けばそれぞれが呼応する家に引き込まれていくはずだ」
 ――すべての光を子ども達のいる家へ届けることができれば、おしまい。
 そう言って微笑み、老人は取り出した光のひとつを上空にかざした。途端に、光は手の中で揺らめき、微かに類のいる方向へ動いた。
「……こっちのようだ」
 老人は類の傍を通り過ぎ、一軒の家へと向かっていく。
 類と杏子もその後に続いた。身体が流れるように宙をすべっていく。それはとても奇妙な感覚だった。
 老人の手の中で催促するように明滅していた光は、やがて、彼がある家の上空に辿りつくと、パッとその手を離れ、屋根の中へ吸い込まれていった。
「……届いたの?」
 杏子の問いに、老人はゆっくり頷いた。
「――面白そう、やってみる!」
「じゃ、競争するか?」
 いつになく活き活きした表情の類。
「いいわね。どちらが多くプレゼントを届けられるか」
「よし、勝負!」
 叫んで勢いよく散らばって行く二人を眺め、老人は嬉しそうに微笑んだ。
 ――温かい光が、二人の手によって次々と各々の行くべき場所へ送られていく。
 光が届いた先にどんな物語が待っているのかは分からないが、こうやって、見も知らない誰かの人生に少しでも関わることができたかと思うと、類はどこか温かい気持ちになった。それは、これまでただなんとなく生きてきた彼にとっては初めての感覚だった。そんな自分に驚きつつも、なかなか悪くないもんだな、とひとりでにはにかむ。
 そんな楽しそうな類の姿を、杏子も微笑ましい思いで眺めていた。
「学校で見るより活き活きしてるじゃない、双見類。――負けてられないわね」
 イルミネーションが輝く聖夜、三人のサンタクロースの手によって、着実にプレゼントが配られていく。
 はちきれんばかりに膨らんでいたサンタクロースの袋も、次第にかさが減り、どんどん萎んでいった。
 ――気付けば、すっかり夜も更けていた。
 プレゼントを届け終わり、サンタクロースの元へ向かう途中、二人は上空で鉢合わせをした。
「……あ、双見類。いくつ届けた?」
「ふう……。35個だな。我妻は?」
「32個……。なかなか大変ね」
 二人は大きく息をつき、思わずそのまま背中を合わせて休もうとしたが――。
「……っごめん!」
「いや、悪い」
 お互い我に返り、素早く離れた。なぜ寄りかかろうとしてしまったんだろう――同時に心の中で呟く。
 ふいに、冷たい風が頬を撫で、二人は身震いした。
 目を落とすと、色鮮やかに輝いていた街は既にトーンを落とし、静かな眠りに落ちていた。
「……もう、イルミネーションも終わっちゃたわね」
「さすがに、大人でももう寝る時間だもんなあ」
 そんなことを話していると、背後から声がかかった。
「……二人とも、どうもありがとう」
 振り返ると、すっかりしぼんだ袋を手に、老人がにこやかに立っていた。「二人のお陰で、なんとか今夜中にプレゼントを配れそうだよ」
 類と杏子が笑顔を交わす。
「プレゼントは、残りいくつなんですか?」
「……ああ、あと三つじゃのう」
 と、袋を覗き込む。
「じゃあ、それぞれが一個ずつ配れば終わるんだな」
 ホッとして類が老人の元へ進んだ時、ふいに杏子が声を上げた。
「あっそう言えば、さっき猫がいたのよ、あっちに」
 言って、闇に沈む町はずれを指さす。
「……猫?」
「そう、猫」
「……まあ、野良猫くらいどこにでもいるだろ」
「野良じゃないわ。首輪してたもの」
「……だとしても、そんなに珍しいもんでもないだろ」
「珍しいのよ。毛色が全身灰色で。オスなんだけど、女の子みたいに可愛い顔してたのよ」
 ――猫なんてみんな似たような顔だろ……。
 うんざりする類。この話題のどこがそういえば≠ネのか。
「……で、だからどうしたんだよ」
「え? 別に? ただなんとなく、思い出したから言ってみただけ。可愛い猫だったなあと思って」
 また杏子のなんとなく≠ナある。
 類は一気に脱力し、ぽかんとする老人から最後のプレゼントを受け取ろうとした。
「……でも、ちょっと心配なのよね。あの辺り……」
「まだ言ってんのか」
「あの辺り、最近野良犬が多いのよ」
「……野良犬」
 老人が呟く。
「そうなの。通学路だからよく通るんだけど、やたら野良犬がウロウロしててちょっと怖いのよね。赤ちゃん連れのお母さん達なんて散歩コースをわざわざ隣町に変えたぐらい……」
「――どんな猫だった?」
 類を押しのける勢いで老人が杏子に近づく。「見かけたのは、どんな猫だった?」
「えっ……」
「どうしたんだよ?」
 いぶかしげな類の声を背に、老人が再度訊く。「どんな特徴の猫だった?」
 先ほどまでとは別人のように怖い表情をする老人に戸惑う杏子。
「え、えっと……特徴は……とにかく全身灰色で……。あ、首に鈴をつけてたわ」
「鈴?」
「そう……ピンク色の首輪で、鈴をつけて……」
「――ピンクの首輪?」
 類が口を挟む。「さっき、オス猫って言ってなかったか?」
「そう、間違いなくオスなのよ。でも、首輪はピンクなの」
「変わってんな」
「飼い主の趣味よね……」
 と杏子が呟き終わる前に、なぜか老人は街へ急降下を始めた。彼を包む光がどんどん小さくなっていく。
「えっ、ちょっ……――じいさん!」
「どうしたの? なんか気に障ることでも……」
「いや、なんか様子がおかしい。追うぞ」
 言うが早いか類も急降下する。後を追う杏子。
 急いで降り立った街は、数時間前までの賑わいが嘘のように静まり返っていた。イルミネーションの照明が落とされた広場は闇に包まれ、街灯だけが冷たいアスファルトを照らし出していた。人気のなくなった空間を一陣の風が通り抜ける。
「じいさん、どこに行ったんだ?」
「この辺に降りたかと思ったけど……」
「プレゼントも配り終えてないのに、どうすんだよ」
 頭を掻く類。
「……猫のことで血相変えてたわよね」
「ああ。なんでサンタ≠ェ、たかが猫のこと気にしてんだか」
「野良犬の話があったから、心配したんじゃない?」
「……その猫を?」
「そう」
 ――訳が分からん……。
 杏子の感性で可愛い≠ニいう猫と、突然の老人の失踪、この二つの関連性はわからないが、
「こうしてても仕方ねぇし……とりあえず、行ってみるか?」
 と類。
「野良犬のところね。案内するわ」
 二人は再度上空へ浮上した。
 濃い闇に包まれた眼下に、時折思い出したかのように街灯の光が浮かぶ。
 町はずれへ急ぐ二人の体を幾度も凍えた風が刺した。類はマフラーに鼻先まで顔を埋め、杏子もコートの襟を立てながら首を竦めた。
「あ、あの辺よ」
 指をさし、杏子が降下する。類も続き降り立ったその場所は住宅街の一角だった。寝静まった家々の屋根を街灯がぼんやりと照らしている。
 二人は辺りを見回し、
「……犬どころか、生き物の気配ゼロだな」
「昼間ならいつもそこらへんにいるんだけど」
「猫はどの辺で見かけたんだ?」
「空き地の方よ。あの角を曲がったとこ……」
 ――その時、杏子が指さした方角から叫び声が上がった。間髪入れずくぐもった低い唸り声が被さる。
「ねえ、今のって……」
「――まさか、誰か襲われてるのか!?」
 二人は顔を見合わせ、同時に駆け出した。否が応でも浮かぶ不吉な想像を振り払い、空地へ走る。