作品タイトル『サンタクロースの処方箋』

 2.

〜 ある猫の場合 〜


 今日は、なんだかよくわからないが、みんな忙しそうだ。
 随分前から街がにぎやかになって、夜でもチカチカ眩しかったけど。
 朝起きてからずっとぼっちゃんははしゃいでるし、母ちゃんと父ちゃんは、そんなぼっちゃんのためにぷれぜんと≠押入れに隠してる。そのそばをっちゃんが通りすぎる度に、二人は揃ってビクっとする。
 今日は、いぶ≠轤オい。明日が本番のくりすます=Bぼっちゃんが喜ぶ日なんだそうだ。
 今夜はごちそうだとか言ってるが、猫のおれには人間の行事は関係ない。今日も夕方散歩に行って、いつもよりも多めに入ってるごはんにありつくだけ。しかもうまいんだな、これが。くりすます*恪ホだ。いつもよりバケツの中のごはんが豪勢だもんな。
 さあ、もうすぐ日が暮れる。しっかり爪を研いで、そろそろ集会≠ノ出かけるかな。
 ん? なんだろう、さっきまではしゃいでたぼっちゃんが、急にソワソワし出したぞ。
 ……まあ、いいか。
 じゃあ、ちょっくら行ってくるよ。
 おれは軽い身のこなしで、窓からぴょんと外へ出た。足の裏にコンクリートの冷たい感触が伝わる。
 うう、寒い。毛が逆立っちまう。
 ぴんと張った髭と耳も、真冬の冷気には縮こまってしまう。
 何はともあれ、まずは集会≠セ。
 今の時期は天敵の犬もたくさん徘徊してるから、気をつけないと。
 俺は身を屈めて走り出した。できるだけ人の少ない路地を駆け抜けていく。風がひゅんひゅん耳元を過ぎる。
 ……チリン。
 走る度、首の鈴が鳴る。ぼっちゃんが作ってくれた首輪だ。おれはオスなのに、ピンクのリボンだ。ちょっと恥ずかしい。
 あ、繁華街のほうに人がたまってる。誰かがぶつかって、食べ物が落ちたぞ。
 おれは一目散に駆け寄り、素早くそれをくわえた。すぐさま踵を返し、路地裏に逃げ込む。
「あっ! このバカ猫!」
 後ろで叫ぶ声がしたけど、気にするもんか。
 一度だけ振り返ると、仏頂面の男が壁に蹴りを入れていた。食べ物を奪われたはらいせか。
 ――どうせ、落ちたものなんて食わないくせに。
 路地の奥でゆっくりと味わうそれは、どうやらはんばーが≠ニ呼ばれているものだった。
 冷めたごはんでもありつけるだけありがたいと言うけど、今の寒い時期にはやっぱり少しでも温かい方がいい。特にこのはんばーが≠ヘ最高だ。いつもの臭いものは入ってないし、ぬくもりの残る肉は柔らかい。
 ぼっちゃん達はいまごろけーき≠食べているんだろうな。あれが美味しいとは思えないけど。
 ……さて。お腹いっぱい。
 今日はこれから集会≠ノ行って、そのあと家に帰ろう。少し遅くなるかな。またぼっちゃんに怒られるかもな。
 でもまあ、いいか。猫は気まぐれなんだ。
 自慢の肢体をゆっくり伸ばし、おれは、イルミネーションが輝く繁華街を走り出した。



*********




「あっ、すみません」
 声と同時に、右肩に鈍い衝撃。
 あっと思った時には遅かった。食べかけのハンバーガーが手元を離れ、固いアスファルトへ転がり落ちた。
「何すんだよ」
 凄みのきいた眼で睨むと、サラリーマン風の優男はあたふたと逃げていった。
「だっせー、類」
 ツレが笑う。
「うるせー」
 そうこう言い合っているうちに、どこからか小さな鈴の音が聞こえた。
 ……チリン。
 すると、一陣の風のように猫が現れ、瞬きの間にハンバーガーをくわえて逃げていった。
「あっ! このバカ猫!」
 思わず叫ぶ。
 猫は類を一瞥すると、まるで嘲笑うかのように路地の闇に消えた。後には、尾を引く鈴の音が響いた。
「……あはは、猫に獲られてやんの」
 類の隣で友人二人が爆笑している。
 類はいたたまれず、傍のビルの壁を蹴った。
 ――イブの夜、時刻は丁度6時。
 この時期最も賑わう繁華街は、ありとあらゆる電飾によって真昼のように輝いていた。歩いているのはカップルか家族連れ、もしくは家路を急ぐ会社員だけだった。辺りには軽快なクリスマス・ソングが流れ、光に包まれた人々は皆幸せそうである。
 類は、他校に通う中学時代からの同級生二人と、ナンパ半分、冷やかし半分でやって来たものの、あまりの場違いな空気にいたたまれず、せめてクリスマスの気分だけでも味わおうと、ファーストフードでチキンを買い込んだところだった。
「くそっ。あのチキンサンド…高かったのに」
 紺のマフラーを巻き直しながら類が呟く。
「まだ言ってんのかよ。ほら、これでも食えよ。たくさんあるぜ」
 バケツサイズの箱を抱えた大柄な友人が、中のチキンを一つ手渡す。
「あ〜それにしても、俺達ほんっと浮いてるな」
 チキンを頬張りながら、小柄な友人がぼやく。「彼女でもいればな〜」
「だな」
「ちくしょ〜。来年は絶対彼女作ってやる!」
「来年こそは!」
「クリスマスがなんだー!」
 三人はやけくそ気味に叫んだ。イルミネーションに彩られた華やかな広場で叫ぶ類達は当然のことながら目立ったが、そこは独り者同士の強みか、大勢の好奇の視線も彼らは全く気にせず悠々と歩いていた。
 その時。
「あっ、女の子みっけ!」
 ふいに、小柄な友人が叫んだ。思わず、三人全員で前方を凝視する。
 そこには、広場の中心にそびえ立つ巨大なクリスマスツリーを眺める、華奢な少女の後ろ姿があった。背格好から、おそらく類達と同世代であろう。誰かを待つ訳でもなく、ただ暇つぶしにイルミネーションを眺めているその雰囲気は、喧騒に包まれる広場の中で浮いていた。
「俺、声かけてくる!」
 小柄な友人が走り出す。
「あっ、待てよ、おい!」
 類達も後を追う。
「ねえ、彼女!」
 小柄な友人が一番に辿りつき、少女の肩に手をかけた。「もしかして、一人? よかったら俺らと遊ばん?」
 下手くそなナンパである。
 少女はビクッと反応し、ゆっくりと振り返った。
「――あ」
 こんな偶然もあるのだろうか。もしや運命?
 振り返った少女は――なんと、我妻杏子だったのだ。
「我妻」
 類が半ば放心して呟くと、杏子は目をぱちくりさせた。
「……双見類」
 またフルネームである。
「何? お前ら知り合い?」
 事情を知らない友人達もキョトンとしている。
 ――かくして、別れてからわずか数時間後、類と杏子はめでたく再会を果たした。と言っても、類にとっては少しもめでたいことではないのだが。
「まさか、今日中にまた会うとは思ってなかった」
 少し興奮の気味の杏子。脱力しながら聞き流す類。
 二人がクラスメートと知った友人は、なぜか妙に気を遣い、二人だけでさっさといつものゲーセンへ向かってしまった。もちろん、杏子と話を終えれば類もすぐに向かう予定なのだが、どうやら杏子との関係を怪しんで席を外したらしい二人に、どう事情を説明すべきか類は困っていた。
 ――なんでこんな変なタイミングで出くわすかな……。しかも、なんで一人なんだよ。彼氏がいなくても、普通、女子会とか、家族でディナーとかするんじゃないのかよ、こういう日は?
 類のいぶかしげな視線に全く気付かない様子の杏子は、なおも一人で話し続ける。
「あのね、本当は……どうしていいかわからなくて困ってたの。クリスマスアレルギーの話はしたでしょ? 私も立派にあれの仲間入りしちゃったのよ。クリスマスなんて特に興味なかったのに」
「……はあ」
 類の頭の中は友人への言い訳で煮詰まり、飽和していた。杏子からの問いかけも耳に入らず、自動応答するのみ。
「あのね、サンタクロース症候群の話もしたでしょ?」
「……ああ」
「サンタってね、やっぱりいたみたい。実際にね」
「……」
「あれ絶対本物よ。本物のサンタクロース。まあ、私も今日初めて見たんだけど」
「…………サンタ」
 非現実的な言葉に、類の頭がゆっくりと活動を始める。「――サンタ?」
「そう。サンタ」
「……それを? 見た?」
「そうなの」
 不信感満載の目で見る類を正面から見据え、杏子は続ける。
「それでね、つい捕まえちゃったんだけど……」
 は? 捕まえた?
 ――何を?
 さっきから何言ってんだ、こいつ?
 類の頭がめまぐるしく回転し、そしてショートした。
「……待てよ、はぁ? 何を、捕まえたって……?」
「うん、だからサンタをね」
 冷静に返す杏子。
「サンタを……――捕まえた?」
「そう。本物よ」
 真面目に答える杏子をしばらく眺め、類はふいに吹き出した。
「ばっ……ばっかじゃねーの。サンタなんているわけないじゃねーか」
「でも、いるのよ、ほんとに。捕まえたもの」
「着ぐるみじゃねえの」
「ううん、本物」
「……じゃあ、ビラ配りのバイトだって」
「――本物よ。絶対に」
 いくら笑い飛ばしても、杏子の真剣な表情は変わらない。そのあまりのかたくなな態度に、思わず本当の話かと信用しかける類。
 ――いやいや、待てよ。本物なわけねーじゃん。しかも捕まえたとか言ってるし。
 こいつ、真面目くさった顔しかしないから読めないんだよな。
 もしかして、勉強漬けの優等生の妄想じゃないのか?
 ……そうだよ、たぶん作り話だ。こういう手合いは妄想が激しいからな。
 勝手な解釈をし、類は意地の悪い台詞を吐いた。
「じゃあさ、我妻。その捕まえたサンタっての、俺に見せてくれよ。そしたら信じるからさ」
 その言葉に、杏子の目が輝く。
「いいわ! 来て」
 言うが早いか、杏子は闇に包まれた路地裏へと進んでいく。
 てっきり、こう言えば言い分を引っ込めるだろうと思い込んでいた類は、杏子の潔い態度に拍子抜けしながらも、渋々後に続いた。
 繁華街の光が届かない路地裏はかび臭く、踏み込むと一瞬で視界が闇に包まれた。手探りで進むと次第に目が慣れ、前方に杏子の白いコートがぼんやりと浮かんで見えた。
「こっち」
 白い影と声を頼りに進んでいくと、突き当りが見えてきた。隣のビルの窓から光が漏れ、無機質な土壁を浮かび上がらせている。対照的に、壁の下側は闇が溜まり黒く沈んでいる。
 杏子はその黒い塊を指差し、
「ほら、サンタ」
 と呟いた。
 ――……?
 示す方角を凝視すると、何かもぞもぞと動くものの存在を感じた。次いで、綿菓子のようなものが薄く浮かび上がってくる。それには目と鼻があり、項垂れるように俯いているのがわかった。
「じいさん……?」
 類の問いかけに、目の前のそれは顔を上げた。壁を照らす光の中に、その風貌がはっきりと現れた。
 尻餅をついた格好で座り込んでいるのは、オーソドックスなサンタ服を着た一人の老人だった。カールのかかった白髪をとんがり帽子に押し込め、独特の赤いコスチュームに身を包んでいる。日本人離れした白い肌と、口元の大きな白い髭が印象的である。
「……え」
 思わず、類は絶句した。
 あまりに想像通りのサンタクロース≠セったからだ。それに、単なるコスプレ≠フ類だろうと笑い飛ばすことのできない、妙な存在感が彼にはあった。
「あ、……我妻」
 信じられない気持ちで杏子を見ると、彼女は誇らしげにふふっと笑った。
「ね? 本物でしょ?」
 類は、杏子のその天然――もとい、何ものも恐れない度胸に圧倒されていた。
 よくよく見てみると、老人は縄のようなもので胴と手首を縛られていた。どこに縄があったのだろうか。
 老人は哀願するように類を見上げている。
 どうしていいか分からず、類は杏子と老人を交互に眺め、頭を抱えた。

 ――イブの夜は、まだ始まったばかりである。