作品タイトル『サンタクロースの処方箋』

 1.

〜 ある少年の場合 〜

 【いつか見たゆめの日記】
  きのう、ふしぎなゆめを見ました。
  たくさんの人たちと、くじを引くゆめです。
  くじを引く人の中には、となりのせきのゆうくんも、まえのせきのまみちゃんもいました。
  とうとう、ぼくのばんです。
  どきどきして、小さなはこの中から、丸いボールみたいなものをつかみ出しました。
  ――当たり。
  赤い字でそうかかれたボールが、ぼくの手の中にありました。
  うれしくてうれしくて、当たった人はおじいさんからいろなはなしをききました。
  でもどんなはなしだったのかは、むずかしくておぼえてません。
  でも、もうすぐクリスマス。
  大すきなサンタさんになれる日です。


*********




 ――――とある真冬の住宅街。
 朝、見慣れた自分の部屋で目覚めたその瞬間から、類≪るい≫は機嫌が悪かった。それというのも、今日が12月24日――そう、クリスマス・イブだからである。
 窓から見える家々には、夜になればさぞかし見事な光彩を放ち出すであろう、色とりどりのイルミネーションが思い思いに飾られている。
 類には、それらすべてが無神経な輝きに見えた。例えるなら、彼自身の複雑な心境などお構いなしにはしゃぐ人々の象徴だった。
 そんな通学路を横目に、類は気だるそうに家を出た。暖かかった室内から戸外に出た途端、そのあまりの温度差に思わず首を竦める。頬を刺す冷たい風から庇うようにコートの襟を立てる。吐く息は白く霞み、見上げた曇天に音もなく溶けてゆく。
 学ランに紺のコート、脇に通学鞄を抱え、類は重い足取りで学校へ向かう。
「ったく、なんで今日なんだよ」
 類がふて腐れるのも無理はない。今年は12月23日が木曜日であり祝日のため、休みを挟んだ翌日――クリスマス・イブの今日が終業式になってしまったのである。類でなくとも、一日休みを挟んでの登校――それも午前中のみ――というのは不満であろう。
 さらに付け加えるなら、元来、類は学校が好きではない。ほぼ毎日登校しているものの、不得意な授業は寝るかさぼるかのどちらかのみ。早起きが苦手なため、六時間目だけ出席して帰宅するということもしばしばだ。
 そんな彼がわざわざ苦手な早起きをし、成績表を受け取るためだけに登校しようとしているのは、他でもない、彼女の言い付けがあったからである。彼女≠ニ言っても、恋人ではない――クラス委員長のことある。
もし終業式にちゃんと出なかったら、体育館裏でタバコ吸ってたこと、先生に言いつけるから
 水曜日の放課後、そう不吉な言葉を突きつけてきた彼女の目は据わっていた。
「……ちっ、めんどくせー」
 吐き捨てるように呟き、類は大きく息をついた。
 彼は以前も担任教師に喫煙を指摘されており、次にそれが発覚すれば停学処分を言い渡されることになっていた。
 学校は好きではないが、かといって大事になり面倒な目に遭うことも避けたい。
 そんな類にとって最大の弱みとなる事実を、よりによって委員長に握られてしまったことは、類にとって不覚以外の何ものでもなかった。彼女は、クラスでも生真面目な偏屈者で有名だったからだ。
 ――あいつ、言ったことは必ず実行しそうだもんな……。
 また一つ溜め息をついて、類は灰色の空を見上げた。
 他人に弱みを握られるのは、こうも気分が悪いものなのか。自分の意思に反して体が動く、操り人形にも似た奇妙な感覚に陥る。最悪だ。
 類はふと、今にも落ちてきそうな低い空を仰ぎ、
「いっそのこと、雨でも降っちまえ」
 と、半ばやけくそ気味に呟いた。「……どーでもいい、クリスマスなんて」


「よーし、ちゃんと来たね、双見類」
 開口一番、類を見るなり委員長――もとい、我妻 杏子≪あづま きょうこ≫が微笑んだ。
「うっせぇ。いーだろ? これで。ちゃんと来たんだし」
 面倒臭そうに言い、類は杏子の隣の席に座った。コートを椅子にかけ、ふんぞり返る。
「そうね、ちゃんと来たから密告は保留にしといてあげる。この調子で三学期からも遅刻なしでよろしく」
「はあ? 三学期!?」
 彼女の口から淡々と紡がれる言葉に思わず声をあげる類。「なんだよ、それ」
「何って、言ったまんまよ。一学期も今学期も、結構遅刻・欠席多かったでしょ? 親切で言ってんだからね」
 と、本人は至って冷静だ。
 ふざけんな、と類は叫びかけて、担任がやってきたことに気付く。
「……ちっ。知るかよ」
 小さく言って、類は杏子から目を逸らした。彼女には口では敵わない気がしたのだ。蒸し返してこれ以上余計な命令をされるより、従ったフリをして今日一日をやり過ごせればいい。休み明けのことなんか知るか。
 担任が着席を促すのと同時にチャイムが鳴る。
 杏子はしばらくの間じっと類の様子を窺っていたが、彼が観念したとふんだのか、得意げに笑みを浮かべ、起立の号令をかけた。
 生徒が着席すると、淡々とホームルームが始まっていく。
 ――終業式の間中、類が不機嫌であったことは言うまでもない。


「ねえ、待ってよ、双見類!」
 終業式後の校庭から、よく通る高い声が追いかけてくる。――杏子だ。
 なぜか、杏子は類をフルネームで呼ぶ癖がある。呼びやすいからなのか、はたまた生真面目偏屈な彼女故の癖なのか――どちらにしろ迷惑に他ならない。一度制してはみたものの、予想通り効果はなかった。
「ねえ、ねえ、待ってってば」
 白い息を弾ませながら杏子が小走りでやってくる。「足速いのね!」
 そして、許可してもいないのに隣に並ぶ。
「……委員長」
 イラつきながら、類はふいに立ち止まった。杏子も立ち止まる。
 通学路に、寒々とした空気が流れた。脇を同学年の生徒が次々と通り過ぎていく。
「お前さ、なんで着いてくるわけ? 言われたとおり式には出たし、もう用はないだろ?」
「ううん、用は無くはないよ。一緒に帰ろうよ」
 真顔で言う杏子に類は思わず顔をしかめた。
 ――こいつは一体何を企んでるんだ? まだ何か弱みを握っているんだろうか? それで俺をまだまだ脅すつもりなのか? 
 頭の中が?≠ナ埋め尽くされそうだ。
 だいたい、杏子はいつも真顔で言葉を発するため、真意が読めない。それが彼女が周囲に生真面目・偏屈≠ニ言われている所以の一つでもあるのだが、とにかく今の類にはそれが脅威だった。
「ね、一緒に帰ろう」
 杏子が真顔で念を押す。
 ――なんとなく、断るほうが、リスクが大きい気がする。
「……ああ、途中までな」
 強張った表情で答えると、杏子は初めて優しく微笑んだ。
 二人は並んで歩き出した。
 大通りに面した並木道。大半の木々は寒空にむき出しの枝を広げ、その足元に取りすがるように残るわずかな落ち葉さえも、無慈悲な北風に吹き上げられ四方八方に散っていく。
 対照的に、車道に面した常緑樹には今夜のライトアップのための電飾が施され、誇らしげに枝をもたげていた。その隙間を縫うように、風が遠くの商店街からクリスマスソングを運んでくる。厳しい冬の世界の中で、そこだけがクリスマス≠ニいう名に彩られたひと時の夢の空間を演出していた。しかし、その舞台も二日後には幕を下ろし、もとの閑散とした冬の景色に戻るのだ。
「……クリスマスが終わったら、もう今年も終わりね」
 ポツリと呟く杏子。
「ああ」
 前方を見つめたまま答える類。
「ねえ、明日≠ヘ何か予定あるの?」
 あえてクリスマス≠ニは言わない。
「……別に、なにも」
「ふうん。さみしいの」
「あ?」
 バカにしたような言い方に、思わず睨む。
「だって、クリスマスに予定ないなんて、さみしいじゃない」
「うるせーよ。じゃあ、お前はなんかあんのかよ、予定が」
 売り言葉に買い言葉。自分を脅している相手に対し思わず出てしまった言葉に、はっとする類。今のはちょっとやばかったか……?
 しかし、杏子の反応は至って普通だった。
「私もないよ、予定。なーんにも」
 ――はあ……?
 じゃあなんで人のことさみしいとか言ってんだよ、と言い返したかったが、なんとなく面倒臭くなり、やめておいた。代わりに一つ溜め息をつき、前方に向き直る。
 何も反応しない類が意外だったのか、杏子はふいに語り始めた。
「ねえ、クリスマスって、ある意味集団中毒≠ンたいだと思わない?」
「……は?」
「だって、みんな外国の行事に色めきたっちゃってさ、イルミネーション作ったり、ケーキ食べたり。ほら、カップルなんて必ず一緒に過ごさないといけない日、みたいになってるじゃない? つまり、その日のために大多数の人が何かをしなくちゃ≠チて思っちゃうわけよね?」
「……はあ」
 なんだか長くなりそうだったが、聞く以外に選択肢は無かった。
「で、それってさ、一種の社会の集団心理じゃない? クリスマス中毒っていうか……アレルギーって言ったほうがピッタリかな。クリスマスってイベントに対して、誰もが何らかの反応を示してるってわけ。もちろん、クリスマスが気にならないって人もいると思うけど……」
 いつになく饒舌な杏子。そんな彼女を見るのは、類自身初めてだった。思わず勢いに負けていると、
「双見類、あなたはクリスマスをどう思う?」
 と問われてしまった。
「え……、お、俺?」
 まさか話題を振られるとは思っていなかった。狼狽する類。
「クリスマスって、好き?」
 ダメ押しの一言。この言葉に、類は半ば条件反射のように「嫌いだ」と大声で言った。杏子がにやりと笑う。
「……ね? こんな風に、クリスマスを楽しみにする人と、そうでない人に分かれるの。クリスマスに対するアレルギー反応が明確に出てるってことね」
 なんのことだかよく分からないが、杏子は淡々と続けていく。
「クリスマスにはもう一つ、サンタクロース症候群≠チていうのが存在すると思うの」
「……ピーターパン症候群じゃなくて?」
 思わず耳慣れた方を突っ込む。
「違うわ。サンタクロース症候群≠諱Bほら、クリスマスになると話題にのぼるじゃない? 『サンタはいるか? いないか?』って。その話題のこと。クリスマスアレルギーの一端にある症状ね」
 クリスマスという国民の一大イベントをここまでこき下ろしていいものなのか戸惑うが、なんとなく筋が通っていないわけでもないと判断し、類は話を促す意味で尋ねた。
「……で、それが一体何なんだよ?」
 ここまで色々な御託を並べたからには、何か重要な落ちが待っているだろうと、神妙な面持ちで杏子を見る。
 しかし、彼女の口から出た言葉は。
「別に。ただなんとなくカテゴリーに分類してみただけ。特に意味はないわ」
「……は?」 
 ここまでこき下ろしておいて、それに意味は無いという。杏子の頭の中は一体どうなっているのだろうか。意味の無いことにここまで脳を使えるとは。類にはとても真似できそうにない。
 ――……変な奴。真面目な顔して、意味の無い理屈をつらつら並べて。それとももしかして、これもこいつにとっての会話≠フ一つなんだろうか。単なる理屈ではなくて。
 そう考えながら杏子を見ると、一見普段通りの様子の中、真顔に見せている彼女の表情がいつもよりもわずかに強張って見えた。
 ……だったら、もっとマシなこと言えばいいのに。
 半ば呆れ気味で、類は十字路の手前で足を止めた。
「はい、ここでサヨナラ」
「なんで?」
「俺はこっから左。委員長は右だろ?」 
「……そうね」
 頷いたものの、なかなかその場から動き出そうとしない杏子。
 その様子に痺れを切らし、類は「じゃあな!」と彼女に背を向けた。大股で十字路を曲がり、振り返らずどんどん歩いていく。
 ――これで、三学期まで喫煙の件は保留だな。
 そう思うと、頬を刺す風もどこか心地良い。
 そんな解放感に浸る真冬の午後。
 まさかその数時間――今年中に、また杏子と再会することになろうとは、夢にも思っていなかった類だった……。