作品タイトル『サンタクロースの処方箋』

 4.

 全力疾走で空き地に辿りついた類の目に飛び込んできたのは、丸く縁どられた外灯に浮かぶ真っ赤なコスチュームと、それを取り囲むおびただしい数の鋭い眼光だった。野生を剥き出しに底光りする視線が、老人とその腕に抱かれた小さな猫に注がれている。
 ――突然消えたサンタクロース≠ヘ、猫を庇い震えながらそこにいた。既に彼らの一撃を受けたのか、トレードマークの帽子は泥にまみれ、片側のズボンは裾が乱暴に引き千切られていた。唸る獣達に逃げ道を塞がれ、老人はただ小さくなるばかりだった。守るようにしっかりと抱かれた灰色の猫の首にはピンクのリボンが巻かれている。
「あれ……さっきの猫だわ。どうしよう」
 やっと追いついた杏子が震える声で呟く。
「――じいさん!」
 呼び声に、犬たちが一斉に類を睨みつけた。突然の来訪者に一瞬たじろぐも、彼らの眼はすぐさま野生のそれに戻り、冷酷な輝きを増した。
 彼らは類を新たな標的と捉え、一拍の後、一斉に飛びかかってきた。
「下がれ!」
 杏子を庇うように叫び、類は素早くコートを脱いだ。それを盾に真っ先に飛び込んできた獰猛な牙を交わし、続く獣達の攻撃を寸でのところで避けながら、彼らの腹に一撃を与えていく。
 急所を突かれた犬たちは子犬のような悲鳴を上げ次々ともんどり打って倒れた。類の攻撃に敵わないと判断したのか、体勢を立て直した犬たちは次々と夜の闇に消えて行った。
「じいさん!」
 犬たちを見届け、類と杏子が老人の下へ駆け寄る。
「じいさん……大丈夫か!?」
「猫も……無事?」 
 二人の問いに老人は静かに頷いたが、後方を振り返ると、
「プレゼントを……守れなかったよ」
 と呟いた。
 老人の視線の先には、薄汚れボロボロになった小さな袋と、弱々しく輝く二つの光があった。――どうやら、残り三つのうちのひとつを失くしてしまったらしい。
「……誰のプレゼントだったのかな」
 杏子が呟く。
「何か代わりのものとか……用意しないとな」
 類の言葉に、老人はすまなそうに項垂れた。
「プレゼントは子ども一人にひとつずつしかないんじゃ……。代わりはひとつもない、大事な夢のかけら……。それを守れなかったわたしは、サンタ失格じゃ……」
「じいさん……」
 どう声をかけていいのかわからない二人の耳に、老人の「せっかくサンタになれたのに……」という呟きが聞こえた。
 ――サンタになれた=c…?
 真顔になる二人。
 老人の気持ちを察するように、腕の中の猫が切なげに一声鳴いた。
 辺りを静寂が包む。
 ――しばらくの沈黙の後、類はおもむろに袋の中の光を手に取った。
「あ〜あ、辛気臭ぇ!」
 言うが早いか、二つの光を夜空へ勢いよく放つ。
「……あっ!」
 光の球は仲良くクロスしながら上空へ舞い上がると、一瞬の後、確かな軌跡を描きながら別々の方向へ消えていった。
 呆然とそれを眺めていた老人は、小さく「ありがとう……」と呟いた。
 漆黒だった夜空の端が段々と白みかけてくる。
「もうすぐ、夜明けなのね」
 杏子が呟く。
 夜空に生まれた一筋の光はみるみるうちに輝きを増し、まだ眠りの中にいる町の家々を照ら出した。外灯の淡い光が次々と黄金色の朝陽に掻き消されていく。
 眩い光に照らされ、老人の姿がぼんやりと霞み始めた。
「! じいさん!」
「きゃ……!?」
 驚く二人に、寂しそうに微笑み返した老人は、
「そろそろ、タイムリミットのようだ」
 と呟き、猫を抱いたままゆっくりと立ち上がった。
「二人とも、子供たちへのプレゼント配りを手伝ってくれてありがとう……。最後の一つは残念だったが、他のものはすべてきちんと届けることができた。――子ども達に、また今年も夢を与えることができたよ」
「――じいさん」
 言って、類が首を振る。「いや……まだ、そんな年じゃないよな」
「?」
 真顔になる老人。
 二人の目には、サンタ服に身を包んだ老人の姿が霞み、次第に小さなシルエットへと変わっていくのが見えた。
「なあ、サンタクロース=B……これやる。寒い中、お前頑張ったからさ」
 類は首に巻いていた大きなマフラーを外し、目の前の人物の首にかけた。マフラーに大事そうに触れた手は、もう皺皺のそれではなかった。
 そこにいたのは、老人ではなく――小学生くらいの小さな男の子だった。あどけない瞳で二人を見上げている。
「あのサンタクロースが……君だったの?」
 杏子がまじまじと少年を見る。
「うん、そうだよ。……ありがとう、おにいちゃん、おねえちゃん」
 無邪気に笑い、少年は猫を抱いた姿のまま、ゆっくりと朝陽の中に消えていった。名残を惜しむように一度だけ響いた鈴の音も、やがて澄み渡った空へ吸い込まれるように消えた。
「……行っちゃったね」
「サンタの仕事は夜明けが来ればおしまい……なんだな」
 朝焼けからゆっくりと青へ変わっていく空を見上げ、類が伸びをした。
 隣で杏子がため息交じりに呟く。
「いい天気……これじゃ、今年もホワイト・クリスマスは無理ね」
「そんな都合よくいかねーよ」
 茶化した類はふいにくしゃみをし、ぶるっと身を震わせた。
「……さむ」
「ふふ。気取ってマフラーあげちゃうからよ」
 杏子が笑う。
「うるせえな。まあいいだろ、本来ガキはプレゼントをもらう側なのに、あいつは与える側で頑張ったんだ」
「だから、ささやかながらプレゼントをあげたというわけね?」
「……まあな」
 面と向かって指摘されると気恥ずかしくなり、類は杏子の笑顔から逃れるようにそっぽを向いた。
「でも本当に、不思議な夜だったわね」
「そうだな……」
 と頷きかけ、「そう言えば、さっきのあの猫はどうなったんだろうな? 怪我はしてなかっただろうけど」
 真顔になる類に、杏子は自信満々で答えた。
「あの猫ちゃんなら大丈夫よ、ちゃんと飼い主と一緒に家に帰れたと思うわ」
「……そうなのか? あのガキが家に届けてやったとか?」
「ふふ、違うわよ。あの猫ちゃんは、あの子に飼われてたのよ。あの男の子が飼い主だったの」
「――え、そうなのか!?」
 声を上げる類。
「うん、思い出したの。あの男の子、うちの近所に住んでるんだけど、ピンクのリボンをつけた灰色の猫を抱いてるの、一度だけ見たことがあったのよね。それに……」
 杏子は少年が消えた空間を見つめ、「あの猫ちゃんね、家の人以外には絶対に懐かないのよ。有名だったの、飼い主以外だと威嚇してすごいんだから。……でも、さっきはサンタクロースの腕にちゃんと抱かれてたでしょ? すっかり安心してた」
「ああ」
「つまりそれは、例えサンタクロースの姿であっても、あの猫ちゃんにはちゃんと飼い主だって分かってたってことよね」
「……猫って、すげえな」
 感心する類だったが、ふいにハッとなり声を上げた。
「あの猫……! なんか見たことあると思ったら……あのハンバーガーの猫じゃねえか!」
「……ハンバーガー?」
「そう。俺のハンバーガー捕りやがったんだ、あのヤロウ……」
 苦々しく呟く類の姿に、杏子が失笑したのは言うまでもない。



〜 ある猫の場 〜


 朝起きると、ぼっちゃんの腕の中だった。
 ぼっちゃんの体温と柔らかい毛布に包まれて、暖かい目覚めだった。
 だけど、どうしても思い出せない。昨夜は集会≠ノ出た後、どうしたんだっけな?
 珍しく怖い夢を見た気がするが、はっきりしない。こんなことは初めてだ。
 そして、おかしなことがもう一つ。
 昨日母ちゃん達が用意していたはずのぼっちゃんへのぷれぜんと≠ェなくなっているんだそうだ。今朝は大騒ぎする母ちゃんと父ちゃんの声がうるさくて目が覚めたくらいだからな。
 だけど、ぼっちゃんは妙に落ち着いてるし、むしろ嬉しそうに俺にマフラーをくれたんだ。これ、ぼっちゃんじゃない臭いがするが、まあいい。今日は一日これを使って寝ていよう。
 とにかく、ぼっちゃんが嬉しそうなら、俺はそれでいいからな。
 でもぼっちゃん、春になったらこの首元のリボンも新調してくれないかな?
 色はできれば、マフラーと同じ青がいいんだが。
 ……さて、今日も寒くなりそうだ。もう一度寝よう……。



*********




 ――しんと冷える朝の空気に包まれた住宅街。
 空き地を背に歩き出す類と杏子。
「う〜マジで寒い」
 類がコートの襟を立てる。
「なあ、これからどうすんの? 我妻」
「……え? どうって……」
 杏子がきょとんとする。
「我妻もさ、どーせ今日は予定ないだろ? だったらさ……」
「――何よ、あなただってそうでしょ、双見類!」
 杏子の返答にため息をつく類。
「あのなあ、我妻。いい加減、フルネームで呼ぶのはやめろって」
「え? じゃあどう呼べばいいの?」
「……」
 そう言われると、答えにくい。
「……じゃあ……フルネームよりマシだし、呼び捨てとか」
「下の名前を?」
「なんでだよ。そこは名字だろ、フツー」
「そんなの、まだフルネームのが呼びやすいわ」
「あのなあ、フルネームはやめろって」
「いいじゃない。呼びやすいんだもの」
「だから、やめろって」
「いや」
「我妻……お前なあ」
 溜め息をつく類。「いくら弱みを握ってるからって、ちょっとぐらい融通きかねえのかよ」
「……弱み?」
「タバコの」
「……ああ!」
 杏子は思い出したように手を打って、「別に、あれで弱みを握ったなんて思ってないわよ」
「あ? だって、脅してきたじゃねえか、学校に来ないとバラすって」
 その言葉に目を伏せる杏子。
「だって、あれは……」
 そこで一息置き、「双見君、たまにしか……学校来ないじゃない。ああ言ったら、ちゃんと来てくれると思って……」
 呼び方を変え、段々と小声になっていく杏子に、いつもと違う空気を感じる類。
「なんだよ、我妻。委員長だからって、何もそこまで……」
「――違うわよ。私が……私が、嫌だったの。そういうの」
 強い瞳で類を見ると、杏子はすぐに力なく俯いた。その頬が赤くなっていくのを見止め、類は彼女の言葉の真意を悟った。
 杏子はいつもの気丈な委員長≠ナはなく、年齢相応の少女としてそこにいた。
 思いがけない展開に戸惑いながらも、類の心に不思議とためらいはなかった。
「えーと……」
 照れ隠しに空を見上げ、「じゃあ、やっぱ……いいよ、呼び捨てでも」
「……え?」
 杏子が顔を上げる。
「名字を?」
「いや、下の名前……」
「……いいの?」
「何度も聞くなよ」
 背を向ける類。
 杏子の表情がパッと明るくなる。大股で歩き出す類を追い、
「ねえ、じゃあ私のことも呼び捨てにしてよね」
「……はあ? なんで」
「その方が自然でしょ」
「そうかな……」
「そうよ」
「……はいはい、まあ三学期になったらな」
 いつものやりとりに、類が思わず苦笑する。
 ――年が明けて三学期になったら、クラスの奴ら驚くだろうな。偏屈で生真面目な委員長と、サボり魔の俺が呼び捨てし合ってるんだから。当然、すっげー冷やかされるんだろうな。
 ふと想像し、あまりの恥ずかしさにいたたまれなくなる類。
「でもまあ……ありだろ」
 ――こんな関係も。……そういう未来も。
 小さく呟き、類は穏やかな気持ちになった。
「……何か言った?」
「別に。それより、どうせこの後ヒマだろ? さっきの連中とクリスマス・パーティでもやるか」
「暇って……それはお互い様でしょ!」
「はいはい、悪かったって。で、やるだろ?」
「……やるわよ」
「よし」
 二人は笑顔を交わし、寒さが少しだけ和らいだ朝の町を並んで歩いて行った……。



〜 ある少年の場合 〜
 【12月25日】
 今日、ぼくはゆめを見ました。
 サンタさんになって、いろんなおうちにプレゼントをくばるゆめです。
 サンタさんになれるのは、ゆめの中でくじを引いて当たった人だけです。
 ぼくは当たったから、サンタさんになれました。
 おしごとは、お兄さんとお姉さんも手つだってくれました。
 三人で見た夜のまちはとってもきれいでした。
 とちゅうで、ぼくの大好きなルイが犬にかまれそうになったけど、お兄さんたちが来てたすけてくれました。
 だいじなプレゼントをひとつなくしてしまったけど、
 お兄さんにもらったマフラーはとってもあったかくて、うれしかったです。
 サンタさんは、こわいおしごとだし、たいへんだけど、でもとてもたのしいとおもいました。
 ぼくたち子どものゆめやきぼう、そしてやさしい気もちがプレゼントになるんだよって、
 くじを引いたとき、ゆめの中でだれかにおしえてもらいました。
 ぼくがくばったプレゼントは、みんなよろこんでくれたかな?
 あさおきたら、ぼくあてのプレゼントがないってお母さんたちがおどろいていたけど、
 ぼくにはマフラーと、ルイがいるからだいじょうぶです。
 もしかしたら、あのときなくしたプレゼントはぼくの分だったのかなあ?
 ちょっとかなしいけど、でもぼくにはたいせつなものがたくさんあるから、がまんします。
 もっともっといい子にして、来年もサンタさんになれたらいいな、とおもいました。


*********




 眠っていた町が、人々が、一夜の奇跡の名残を胸に目を覚ます朝。
 ――それぞれのクリスマスは、まだ始まったばかりである。