作品タイトル『memories -3 years ago-』

 3.

 職員室は一階。
 倫は生徒指導教諭に見つかるリスクもお構いなしに三階分を駆け降りる。
 廊下に降り立ち走り出した倫だが、思わぬ壁に阻まれた。
「先輩、また遊びにきてくださいね〜!」
「絶対ですよ!」
「先輩に褒めてもらえるように精一杯頑張りますから!」
 黄色い声の集団が、元生徒会メンバーの清香達の帰路を見送っているところだった。廊下を占拠し騒ぐ彼女達に倫の姿は見えていない。
「ちょ! ちょっと、通して……」
 もがく倫。
「……? 倫?」
 人垣に埋もれる倫の姿を、輪の中心にいた清香が見とめた。「ちょっと、だいじょうぶ?」
 彼女の鶴の一声で人垣がさっと左右に分かれ、ようやく倫は息をついた。
「さ、清香……」
 よく見ると、約束通り、清香の胸元からはリボンが消えていた。
「ごめんね、倫、遅くなって。帰ろうか」
「えーっ!」
 途端にざわめく女生徒達。他の元生徒会メンバーが耳を塞ぐ。
「ごめん清香、あたしちょっと追いかけなきゃいけないの!」
「誰を?」
「神谷勇輝っていう子!」
 叫びながら走り出す倫の腕を清香がすかさず掴んだ。
「ちょっと待って。なんでその人を追いかけないといけないの?」
 あんたそんなことしてる場合?
 眼光鋭い清香の目がそう語る。
「いや、もちろんわかってるよ、あたしはあたしでちゃんとする……けど、でも今は呼びにいかないといけないの」
「……どうして?」
 怪訝そうな顔をする清香。彼女は納得できないことに対してはとことん追求するタイプなのである。
「神谷くんを屋上につれていくって約束したの。最後のチャンスだし、会わせてあげたいのよ」
 必死な倫の様子にひとつため息をつき、清香は手を離した。
「なんだかよくわからないけど……倫がそのひとに告りたいわけじゃないのね?」
 ――そんな誤解してたの?
 脱力する倫。
「あのねえ清香……そんなことあるわけないでしょ!」
「そうよね、倫は兄貴一筋だもんね」
「ちょ……! ま、まあとにかく、あたしちょっと行くから!」
「――待ってよ」
 凛と響く声。「私も行くわ、職員室。そこに神谷勇輝ってひともいるから」
「え?」
「兄貴と一緒にいるのよ」
 ――へ?
 倫の目が大きく見開き、次いで真っ赤になった。
「ど……どういうこと? 修治さんがなんでここに?」
「私達が卒業式だからって帰省ついでに迎えにきたのよ。……っていうのは建前で、懐かしくなって遊びに来たってとこでしょうね」
 ――修治さんが……修治さんがここに!?
 どうしよう、まだ心の準備が……!
「で、私が遅くなるってわかってるから、先生達に挨拶してくるって。10分くらい前かな? そう言いにきたわ」
 清香の淡々とした説明も耳に入らない。心臓が早鐘のように打つ。
 どうしよう……どうしよう、三年ぶりの修治さん。どんな顔して会おう――緊張する……!
 赤面しながら頭を抱える倫を眺め、清香はため息をつきながら彼女の後ろに回った。
「はいはい。とにかく、目的地は一緒なんだから、さっさと行くわよ」
 強引に背を押す清香。
「ちょ……待って、自分で歩くってば。もっとゆっくり……」
「面倒くさいわね、こういうのはさっさとやっちゃったほうがいいの! 覚悟とかそういうのどうでもいいから」
 ――どうでもよくない!
 冷静な清香が容赦なく倫を引きずる。
 群衆はそれを呆気にとられた顔で見送った。清香のファンらしき女生徒達だけはすぐに我にかえり清香の後を追おうとしたが、振り返った彼女にやんわりと制されると、シュンとした表情で足を止めた。


「失礼します」
 勢いよく戸を開き、清香が倫を引っ張りながら中へ入る。
「おお、宮瀬か」
 がらんとした職員室の奥から手招きする男性教師。「ちょうどアルバムを見せていたところだ」
 歴史を担当する彼は、温和で面倒見のいい性格から大勢の生徒に慕われている。
 卒業式を終えひと段落したせいか、どうやら彼以外の教師は出払っているらしい。
 清香の後ろに隠れていた倫が肩越しに顔を上げると、アルバムを手にこちらに笑顔を向ける二人の青年が見えた。
 手前の青年を見とめた瞬間、倫は思わず声を上げた。
「修治さん!」
「ひさしぶり、倫ちゃん」
 修治と呼ばれた青年が倫達へ歩み寄る。「三年ぶりかあ……懐かしいな」
 涼しい目元と少し日に焼けた筋肉質の肢体。
 三年前より高くなった彼の笑顔を眩しそうに見上げ、倫は嬉しさに叫びだしそうになった。
 ――本物だ……! 三年ぶりの修治さんだ……!
「えっと……元気、でしたか?」
「うん。倫ちゃんも元気そうでよかった。……卒業おめでとう」
 三年前は額に置かれた手が、今は倫の肩に優しく触れる。あの時よりも大きくなったその手にドキドキしながら、倫は三年前と異なる彼の姿勢に嬉しくなった。
「その子がいつも話してた妹の友達か?」
 修治の後ろからもう一人の青年が顔を出す。
 青年は修治とは対照的に、華奢で色白だった。金に近い茶髪を逆立て、両耳にいくつもピアスをつけている。シャツにジーパンといったラフな姿の修治とは違い、黒のジャケットとクラッシュデニムを着こなすその姿は、倫が思い描くいかにもなバンドマンの姿だった。
「紹介するな。こいつは神谷勇輝。在学中の時の文化祭でライブをやった破天荒なボーカリストだ」
「あのなあ。修治だってノリ気でベースやっただろ」
 修治を小突き、勇輝がおどける。
 ――この人が、神谷……くん?
「二人は……同い年?」
「? そうだよ」
 真顔で首を傾げる修治。
 件の女生徒の話から、倫はてっきり同級生だと思い込んでいた。
 驚く彼女の目の前に、男性教諭が楽しそうにアルバムを見せた。
「ほら、館も見てみろ。こいつらの勇士」
 目を落とすと、卒業アルバムの文化祭≠ニ書かれたページに、演奏中の彼らと、その直後に撮られたものらしき集合写真があった。
「わあ、すごい!」
「兄貴、本当に楽器弾けたんだ?」
 倫の歓声を清香の冷静な呟きが掻き消す。
「お前……。これで食べていきたいからこいつと東京まで行ったんだろうが」
「だって私は見たことないんだもの。兄貴がちゃんと弾いてるところ」
 そんなやり取りを聞きながら、倫は集合写真を眺めた。
 ――いいなあ、楽しそう……。同い年だったらよかったのな。
 写真の中で笑う修治の姿を見つめた時、倫は修治と勇輝に挟まれた形で遠慮がちに微笑む少女を見つけた。
「あ! ……この子!」
 ――あの子だ。
 指さすと、修治と勇輝の表情が曇った。
「……一美、のことか?」
「一美さんっていうんですか?」
 修治が頷く。
「ああ、八木一美って言って……俺達の友達だよ」
「その人がどうしたの?」
 と清香。
「この子なの、勇輝さんに会わせたいひと」
「――なんだって?」
 さっきまで笑顔だった勇輝の表情が固まる。
「勇輝さん、すぐに屋上に行きましょう。この子が待ってるから」
「は? 何言ってるんだよ」
 怒ったように顔を歪める勇輝。「そんなこと有り得ねぇよ」
「人違いじゃないか……? 倫ちゃん」
 修治も怪訝そうな顔をする。
 倫は、不穏な空気に戸惑いながらも写真の少女を指し示した。
「人違いなんかじゃないですよ。ポニーテールだったし、雰囲気も……このピンクのスカーフだって、確かにこの子です」
「!」
 顔を見合わせる修治と勇輝。
「あたし、この子の代わりに勇輝さんを迎えに来たんです。だから、早く行きましょう!」
 急かす倫の言葉にも、勇輝はまだ尻込みをしている。
「……とりあえず行ってみよう、勇輝」
 修治が肩を叩くと、勇輝はようやく小さく頷き、歩き出した。
「早く、早く!」
 駆け出す倫の後を修治達が追う。
 呆然と見送る教師の手からアルバムを受け取り、清香は学年ごとの集合写真のページを捲った。修治のクラスのページに辿りついた時、清香は小さく息を飲んだ。