作品タイトル『桜の花が開く瞬間-とき-』

 5.晶

 ――夜と同じ暗闇が、辺りを包んでいた。一切光はなく、耳を澄ましても、おおよそ自分以外の生物の鼓動は聞こえてきそうもない。恐ろしい孤独感に支配される、いつものあの感覚。
 晶は、一人、いつも以上に冴え渡る感覚を研ぎ澄ましながら、暗闇の中でじっと目を閉じて立ち尽くしていた。周りを、幻影のような影がいくつも横切っては消えていく。
 晶は、闇が嫌いだった。闇があるところに、必ず奴ら≠ヘいたからだ。あの禍々しい生き物。生者を苦しめるべく、死者でありながらこの世に留まり続け、悪事を働くやっかいな思念達。それらはみな、晶を嫌っていた。故に、晶はいつも奴ら≠ノ理不尽に襲われるはめになっていた。
 いつからだったろう……晶はゆっくりと思い出していた。いつから、自分は他人には見えない異形のもの達が見えるようになっていたのだろうか。
 もう、思い出そうとしても、記憶の深淵にも、今の自分を悩まし続けている諸悪の根源は見つかりそうになかった。多分、血筋なのだろう、この霊感≠ニいう特異体質の答えは……。
 晶は、闇の中、ゆっくりと目を開いた。影が、冷気を撒き散らしながら浮遊している。いつも視ている低級霊の集まりである。
 ――この闇は、一体何なのかしら?
 晶は、冷静に漆黒の中を見回した。星屑のない宇宙のような、空虚な黒だ。
 私は確か、校庭にいたはずだわ。門の傍まで走った時……――そう、急に意識が途切れて……。気がついたら、この何もない闇の中にいた。
 日菜子はどこに行ったのかしら?
 私のようにこんな暗闇に閉じ込められているのなら、早く助けに行かなくちゃ……!
 取材の話を持ちかけてきた時から、日菜子はどこか様子がおかしかったし、今夜出会ったあの――冬堂っていう男子生徒も、なんだか暗い過去を背負っているようで嫌な感じがしたわ。自殺した立花っていう生徒と、何か関わりがあったんでしょうね。彼の周りに、嫌な思念が絶えずまとわりついていたもの……。
 いつでも、人間の負の感情が奴ら≠呼ぶのよ。……厄介なことになったわね。
 考えて、晶は小さく溜め息をついた。 
 ――この状況下では、こんな事態になった原因はあの桜の木にあるように思うのだけど……。
 確かに、あの桜の木には無数の嫌な思念があったわ。小さい頃から意味もなく私を憎み続けている奴ら≠ニ同じ感覚がした。
 だけど、それだけでこんな不可思議なことが起こるかしら? 感じた思念はごくごく微量なものだった……。だったら、もっと大きな力が加わることでもない限り、ここまで奇妙な事態にはならないはずだわ。
 ――だとしたら……。誰かが……力を貸したのかしら? こんな大がかりなことが起こるような力を、誰かが貸したのだとしたら……?
 そうすれば簡単だわ、有り得ない噂も真実にしてしまえるほど、容易に霊を呼び出すことができてしまう。それは実に造作もないこと。
 ただ、そんなことをして、一体誰に利益があるのか、ということね。そして、誰があの思念に手を貸したのか……。あの、立花優という、自殺した生徒の念に手を貸した、その相手は――。
 そこまで考えて、晶はふと闇に目を凝らした。目の前の黒い暗幕が、急に、ある一つの景色へと変化していったからである。
 じっと警戒しながら見守っていると、闇のヴェールはゆっくりと薄れながら、夜の暗がりにひっそりと浮かび上がる、一つの部屋を作り出した。
 正方形の、落ち着いた印象を与える内装。シックなカーテンと調度品。窓際の机の上には、何冊かの本がきちんと整頓されて並べられている。ベッドの上のシーツは、闇の中で洗い立てのように輝き、しわ一つない。上品なカーペットは、まるでそれが当然であるかのように寝そべり、じっと主の帰りを待っていた。
 ――そこは、晶の私室だった。
「これは……」
 呟き、ゆっくりと部屋に歩み寄る晶。
 そっと触れた冷たい壁の感触は、明らかに現実のものだった。
「どうなっているの?」
 ここは、私の部屋……。どういうこと……?
 部屋は、つい先ほど晶が出てきた時のまま、しんと静まり返っていた。闇に映える真っ白いカーテンの隙間から住宅街の街灯が漏れ、部屋の中に淡い光を注いでいる。
 晶が信じられない思いで部屋の中を見回していると、ふと、机に寄り添うようにして凭れている見慣れない姿見が目に付いた。
「これは……?」
 晶はゆっくりと鏡の前に歩み寄った。
 ――こんな姿見は、部屋にはなかったはず……。
 シンプルな彫刻が施されたその鏡は、悠然と晶を出迎えた。暗がりの中、全ての景色を反転させる美しい輝きは、少し青ざめた晶の整った容姿をはっきりと映し出した。
 そっと鏡面に手を触れる。指先に氷のように冷たい感覚が走った瞬間、鏡に映る晶がにやりと笑った。
「……!」
 反射的に、晶は後ろに飛び退いた。
 鏡の中の晶はにやにや笑い、こう言った。
「私は、晶」
 鏡の中の自分が言った言葉に、晶はぞっとした。
 ――私は、晶……ですって?
 晶は、ぐっと瞳を細めた。
「また……あなた≠ネのね。小さい頃からずっと私に取り憑いてきた、醜い悪霊!」
 叫ぶと、鏡の中の晶は心外といった様子で笑った。
「何言ってるの? 私は晶≠諱B偽者は、あなた」
 銀の鈴を鳴らすような声。
 晶は必死で叫んだ。
「ふざけないで! 子供の頃からずっと、私に理不尽な嫌がらせをしているでしょう。今回のこともあなた≠フ仕業?」
 晶の神経がピリピリと張り詰める。相手の手ごわさを、ずっと昔から心得てきたからである。
 霊感があるせいで、晶はこれまで何度も霊に襲われ、命を狙われ続けてきた。その都度、生身で相手と対峙する度、少しずつではあるが、晶は力≠蓄えてきたのである。お陰で、今では大抵の小物の霊は除霊できるほどまでに成長していた。先ほど、金城茂彦の足にまとわりついていた手を祓うことができたのも、そのせいである。
 しかし、それでも、晶はまだこの相手を自分から祓うことができないでいた。今の自分がこの霊を祓おうとするならば、命を捨てる覚悟で挑まなくてはならないと、そう確信していた。
 この霊は、幾度となく晶の生活を破壊した。いつの頃からか晶に取り憑き、晶に関わる全てのものを抹殺しようとした。だから、晶は人との関わりを避け、次第に、独りで過ごすようになっていった。
「今回のこと=c…? 一体、何のことかしら」
 鏡の中の晶が微笑む。
「……とぼける気ね」
 晶の表情が強張る。「日菜子はどこなの! 冬堂君や金城君は?」
 無機質な鏡が光る。
「――そんなことより、昔話をしましょうよ、晶」
「……昔話?」
 相手の意図が読めない。
 晶は警戒しながら鏡を見つめた。
「そう、昔話よ。あれは小学校一年生の時……あなた、クラスの男子にいじめられていたわね?」
 嫌な記憶が脳裏に蘇った。過去に、晶はクラスの数人の男子に気味が悪いと言われていじめられていたのだ。
「いじめられた原因、覚えてる?」
 ――忘れようがなかった。
 鏡の声が頭の中に反響する。
 あれは、晶の未熟さから生まれた出来事だった。
 当時、この霊はすでに晶に取り憑いており、そこから発する微妙な空気に、大人よりも敏感なクラスメート達は次第に晶を避けるようになっていた。
 そんな時、クラスの男子が晶にこう言ったのである。
「おまえ、なんかへんな力があるんだってな。みせてみろよ!」
 その言葉に、晶は無意識に反応したのだ。まるで、野生の動物が本能で敵を察知し、身を守る時のように、晶は瞬時に目の前の男子を敵とみなし、潜在意識の奥にある力≠ナ攻撃したのである。
 すべては一瞬の出来事だった。教室中の窓ガラスが内側に向けて割れ、その破片はまるで狙ったかのように特定の男子達に降り注いだ。我に返った晶を待っていたのは、全てを見ていたクラスメート達の戦慄の眼差しだった。
 その後、身体中にガラスの破片が突き刺さった男子生徒数人は救急車で運ばれ、なんとか一命を取りとめたものの、晶を恐れ二度と登校することはなかった。同時に、他のクラスメートは一切晶に関わらなくなり、彼女の姿を見ると怯え逃げた。
 ――全ての記憶を思い出し、晶は辛そうに俯いた。
「懐かしいわねえ」
 鏡は言う。「あの頃は力≠フコントロールができなかったのよねえ。可哀想に」
 鏡は楽しそうに微笑んだ。
「そんな話、どうでもいいわ」
 晶が、苛立ったように鏡を睨みつけた。「ここで自殺した、立花優という男子生徒の思念に手を貸したわね?」
 晶の言葉に、鏡の中の少女は声を上げて笑った。
「ああ、そうそう! こんなこともあったわね。小学校5年生の時、林間学校で霊に襲われて、あなたは一人単独行動をとってその悪霊と戦った。――でも、単独行動をとってしまったために、あなたは一晩中、山を捜索してくれた人達にさんざん怒られて、挙句の果てには、両親にまでも勘当同然の扱いを受けてしまった……。あなたは瀕死の状態だったのに、みんなのために戦ったのに、そのすべての人から非難され、軽蔑されたのよね?」
 鏡の無神経な言葉に、晶はきつく唇を噛んだ。
「――そんなことはいいから、質問に答えなさい!」
 叫ぶと、さっきまで子供のように笑っていた鏡の中の晶の表情が、一瞬にして悪鬼のそれと化した。土気色の頬に、血のように赤い一対の瞳。重々しい威圧感を放ちながら、鏡は、地の底から轟くかのような声音でこう言った。
「いいか、晶。よく聞け。お前は他の人間とは違う。思い出せ、今までどれだけ命を懸けて人を助けてきたか……」
 鏡の、異様な燐光を放つ眼に気圧されながらも、晶は、ふとその言葉に耳を傾けてしまった。頭の奥がジンと痺れ、心地よい浮遊感の中で、悪霊の声が夢のように響き渡る。
 ――そう……私はずっと、自分のこんな不運な体質に他人を巻き込みたくなくて、独りで戦ってきたわ、いつだって……。
 林間学校の時だってそうよ、修学旅行だって、どこにいっても、何をしててもそう、常に人のいない場所を私は無意識に選んでいた――私のせいで誰も傷つけたくなかったから、だから……。
「でも」
 悪霊≠フ声。「実際、それでお前はどうなった? 誰かに感謝されたか?」
 ――いいえ。
 晶は、固く目を閉じた。
 級友には変な目で見られ、両親には蔑まれ……。両親は、私の存在を恥じている。霊感なんて非現実的な妄想を抱いている娘が、恥ずかしくてしょうがないのよ。だから、私は…………。
 悪霊は、晶に言い聞かせるかのようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「もう、分かっているんだろう? お前は、普通の人間じゃない、特別≠ネんだよ。何も他人を庇う必要なんてない、お前が思うままに、自由に生きればいいんだ」
 自由=c…?
「そうだろう? 自分を抑える必要なんてない。他人なんて気にしなくていい。放っとけばいいんだよ、そんな奴らの為に自分が犠牲になるなんて、バカみたいだとは思わないか?」
 ――なぜか、その言葉は晶の心に心地よく響いた。脳裏に、これまでの辛かった思い出がありありと蘇る。
 そう……そうね、私がいくら守ろうとしても、みんな奇異な目で私を見て、決して信じようとはしなかった……。
 悪霊の言葉によって、少しずつ、晶の深層意識の警戒≪ガード≫が解かれようとしていた。悪霊は薄く微笑んだ。今こそ晶の心の傷に付け込み、心を破壊しようとしているのだ。悪霊にとって、霊感の強い人間は恰好のエサだった。負の感情を引き出し取り込むことができれば、その分霊自身の力が増すのだ。晶が霊に命を狙われる所以はそこにあった。
 晶の心の中に、少しずつ、わだかまりにも似た負の感情が生まれつつあった。……他人ハ、ミンナ私ヲ疎ンジテ遠ザケル……。誰モ、私ヲ認メテハクレナイ……。
 悪鬼の表情をした鏡の中の晶は、冷たい闇の中から優しく囁く。
「そう、誰もお前を必要としない……誰一人として。だから……こっちへおいで、晶……!」
 ふいに鏡の表面が波打ち、大きな波紋が生まれた。闇色の向こう側に、奇妙に歪んだ空間が覗く。
 晶は、無意識にその空間に手を差し延べそうになった。
 ――そうよ……誰も、私の力を認めない、両親も誰も、私を必要としていない……。
 この闇に溶けてしまえば、きっと楽になれる。そんな甘美な妄想に包まれた時。
「……ッ!」
 どこからか女性の悲鳴が聞こえた。切羽詰った叫び声。
「……! 日菜子!?」
 伸ばした手をさっと引っ込め、晶ははっと我に返った。
 ああ……私、一体、何してたの?
 自分の不甲斐ない行いに、思わず両手で頬を叩く。
 ――私としたことが……悪霊なんかの誘いに乗ろうとするなんて。最低……バカ!
「そうよ……そうだわ、私は独りなんかじゃない」
 今は……日菜子がいるんだもの。
 日菜子は、私が霊感がある恐ろしい女だって噂があっても、変わらず普通に接してくれたわ。そりゃあ、初対面の時はお互い霊感について取材をする新聞部員とその対象≠ナしかなかったけれど……。
 だけど、それでも日菜子は他の人とは違った。何事にも関わろうとしない私を元気づけて、学校行事だけでなく、カフェや映画、ショッピング、色んな楽しい場所に連れ出してくれた。陰で私の悪口を言う級友にも、面と向かって晶ちゃんは私の親友なんだから、悪口は許さない≠ニ言って庇ってくれた……!
 あの時、私は本当に嬉しかった……。
 独りでは決して得ることのできなかった楽しい思い出をたくさんくれた、大切な友達……! 日菜子との友情は、大事な思い出は、偽りなんかじゃない、ひとりでは絶対に得ることのできなかった大切な絆……!
 だから私は、日菜子を信じてるわ。今まで日菜子と過ごしてきた思い出を、日菜子の優しさを、信じてる。
 ――晶は、強い決意の瞳で鏡を見つめた。
 鏡は、もはや本来の硬く冷たい質感を失い、暗黒の異界の空間を覗かせながらゆっくりと波紋を描いていた。
「日菜子のところに行かなきゃ……。この暗闇から出しなさい!」
「……何を考えている? 日菜子≠熨シ人だろう」
「違うわ」
 晶ははっきりと答えた。「大事な友達よ」
 その言葉に、悪霊は禍々しい悪鬼の姿に戻り、囁いた。 
「よく考えろ……他人はみんな、今までお前をさんざん疎んじてきた奴らだ。霊感があることがどんなに辛いことなのか、苦しいことなのか、理解しようともせずに、無知のままぬくぬくと生きてきた人間……あいつらのせいで、お前は今までさんざん苦しめられてきたんだぞ?」
 晶の瞳が燐光を放つ。
「……私を苦しめてきたのは、悪霊≪あなた≫達のほうでしょう」
 悪霊は少し気圧されながら、なおも続ける。
「よく思い出してみろ……霊感があるお前は、他の何も知らない人間達とは違う、別格なんだ。他の愚かな人間達とは違う。日菜子≠セって、そうだ」
「……なんですって?」
「あの女だって、小学校の頃のお前の事件は知らないだろう? お前の力によって大怪我を負った者がいることを、知らないだろう? だからあの女はただ、孤立しているお前に同情して声をかけてきたに過ぎないんだよ。ただの正義感だ。どうせ本当のお前の力を知れば、あの女だって逃げていく。そんな友人など、一緒にいても無価値だろう」
「……違う……無価値なんかじゃないわ!」
 晶が声を荒げる。「日菜子は、私の大切な友達なのよ。過去のことを知ったって、変わらず友達でいてくれるわ」
 その言葉に、悪霊は地を震わすような声音で叫んだ。
「そんなことがあり得ると思っているのか? そんな存在を本当に手に入れられると? 異端のお前が!」
「……!」
 晶が目を伏せる。
「確かに……私は人とは違うわ。人と違う力を持っている。そのせいで……周りの人も、自分も、たくさん傷つけてきたわ。だけど……」
 ――だけど、それと、日菜子とのことは関係ない。
 日菜子はいつも本当に私のことを心配して、気にかけてくれた。
 でも、今日まで、小学校の頃のことを日菜子に告げられなかった。過去にクラスメートに大怪我を負わせたことが知られたら、離れていってしまうかもしれないと心のどこかで危惧していたから。
 それに、私の傍にいることで、日菜子にも悪霊の手が及んでしまうことが心配だった。
 だから、日菜子と知り合って二年にもなるのに、彼女に対して本当には心を開けていなかった。彼女の厚意に素直に甘えることが出来なかった。
 そんな気持ちが、今日のこの事態を招いてしまったのかもしれない。
 私が……もう少し早く、日菜子の異変に気付いていたら……あの桜の木の思念にもっと注意していれば……!
 ――笑顔しか見せなくなった日菜子の本当の気持ちに、私は気付けていなった。 
 だから、今度こそ助けたい。日菜子が、私を孤独から救ってくれたように、今度は私が日菜子を……!
 晶は、キッと悪霊を見据えた。
「これまで、私はずっと他人を避けてきたわ。それは、他人を傷つけたくないっていう気持ちだけじゃない。心のどこかで、他人を信じ切れていなかった。何も知らない時は仲良くしていたクラスメート達が、私の噂を聞いただけで手のひらを返したように無視してきたり……そんな人間関係に辟易していたところもあったのよ……。だから、私に対して本当に心を開いてくれてた人までも、ずっと拒んできた……!」
 でも、もうそんなことはしたくない。
「私は、決して特別なんかじゃない……。他の人と同じ、厭らしくて卑怯な人間なのよ。同じなの」
 晶のその言葉に、四角く切り取られた闇の異空間が激しく渦を巻いた。怒り狂う形相の悪霊が咆哮し、不気味な地響きが轟く。
「――だから、日菜子のもとに行かせなさい、化け物!」
 晶が叫ぶと、悪霊は唸り声を上げながら太い腕を突き出した。
「あの女は諦めろ。そして、人をもっと恨め、憎め! あの時のように、力を解き放て!」
 気味の悪い唸り声が、狭い部屋の中に轟音となって鳴り響く。
 黒い炎に包まれた悪霊の手が、闇へ引きずり込もうと晶の腕を掴んだ。
「……あなたが、私の力を使ってなにか企んでるのは知ってたわ。立花君だけの力で、こんなことできるわけないものね! やっぱり、今回のことに、あなたも一枚かんでいたのね」
 その言葉に、悪霊は不気味な笑みを浮かべた。
「くく……何を勘違いしている? 俺がこんなまわりくどいことをするものか」
 悪霊の低い声は、闇の中に振動として響き渡った。
 ――違うの……? 
「じゃあ……今回のことに、あなたは関係してないのね?」 
 そう……。なんだ、そうなの……。
 独り言のように呟くと、晶は美しい微笑を浮かべて言った。「……それはよかったわ。遠慮なく、あなたを祓うことができるもの」
「……なんだと?」
 奇妙に歪む空間の中で、悪霊は、高ぶる晶の能力を察知し、引き込む力を弱めた。
「……本気か…!?」
 たじろぐ悪霊を前に、晶は目を閉じ、体中の感覚を研ぎ澄ました。瞼の奥の暗闇に、教室で逃げ惑う日菜子の姿が浮かぶ。日菜子は、立花優が起こしたポルターガイストによって、次第に隅に追いやられていく。
 ――日菜子が危ない……助けに行かなきゃ!
 晶は目を見開く。その決意の瞳には、生きる者が放つ力≠ェ強い燐光となって宿っていた。
 不思議と、晶の中に恐れはなかった。 
 ――今こそこの悪霊を祓ってみせる。そして、生きて、日菜子を助けにいく……!
「今すぐ、この幻影を解きなさい!」
 叫び、晶は、目の前の悪霊に向かってありったけの気≠放出した。小学校の頃とは比べ物にならないほどの力が弾け、凄まじい閃光と衝撃が辺りを覆う。
 ――……!
 暗黒の異空間が晶の凄まじい気≠ノ消し飛ばされていく。
 すべてが光の中に消滅する寸前、悪霊は舌打ちをし、闇の中へ消えた。
 ――くそ、もう少しだったのに……。
 苦々しい表情で姿を消す悪霊の気配を感じ、晶は呟いた。
「……ッまた、逃がしたわ……」
 安堵と落胆が入り混じる思いで呟く。
 ――晶の放った衝撃が去った後、辺りはまた漆黒の闇に戻っていた。
 悪霊に掴まれていた腕がヒリヒリ痛む。
 静寂に包まれる闇の中、晶はゆっくりと辺りを見回した。じっと目を凝らして見ると、次第にひとつの景色が浮かび上がってきた。
「ここ……!」
 はっとして見ると、そこはいつも晶達が通っている学校の廊下だった。窓の外は濃い藍色の闇に包まれており、遠くの街灯が冷たく瞬いているのが見える。
 腕時計に目を落とすと、晶の記憶が校門で途切れてからあまり時間は経っていないようだった。
 近くの教室のプレートを確認すると、そこは晶達三年生の階――新校舎の二階だった。 
「……ッ!」
 ふいに、短い叫び声と重い衝撃音が向かいの建物――旧校舎から響いた。
「……日菜子!」
 叫ぶが早いか、晶は暗闇に続く廊下を駆け出した。