作品タイトル『メル友』

第三夜:【チャット】 T

* * * *

〈チャッ友サイト〉
―2ショットチャットの部屋・1―

レイカ:呪われた掲示板≠チて知ってる?

カオル:なんだそれ?

レイカ:書き込むと必ず死んでしまうっていう掲示板のウ・ワ・サ
レイカ:そこに書き込むと、その端末を辿って死の呪いがやってくるんだって
レイカ:怖くない?(T△T)

カオル:へえ、面白いじゃん
カオル:レイカはそれ信じてるのか?

レイカ:だって……ほんとのことみたいなんだもん
レイカ:このサイトで知り合ったチャット友達で、やったことあるっていう子いるのよ(>_<)

カオル:でも、そのコはちゃんと無事なんだろ?

レイカ:ううん、わからないの
レイカ:最近連絡とれなくなっちゃって……
レイカ:(*_*;心配……

カオル:そんなの迷信だよ、迷信(^_^)大丈夫だって
カオル:そのコもきっと忙しくて返事できないだけだよ。気にするな!

レイカ:うん……そうかもね、気長に連絡待ってみようかな(^_^;)
レイカ:ありがとね、カオル

カオル:どういたしまして(^^)
カオル:それよりさ、今度会うの、いつにする?

レイカ:そうね、来週がいいかな(^^)
レイカ:初めての(二人だけの・笑)オフ会ね、楽しみ☆

カオル:俺もだよ
カオル:早くレイカに逢いたいな(*^_^*)

* * * *


 チャットを終え、カオルはパソコンの電源を落とした。 
 時刻は夜中の3時。
 仕事から帰ると2ショット・チャットにログインし、遅くまでレイカと話し込む毎日。
 カオルは現在22歳。れっきとした女性だったが、ネット上では男を演じていた。いわゆるネカマ≠ナある。
 別に男を演じることが楽しいというわけではない。
 だから、チャットサイトで出会ってから長い付き合いのレイカと、来週末初めて会う約束をした今、これまでずっと性別を偽っていたことに対する後ろめたさで胸が痛かった。
 ――嫌われてしまうだろうか。
 レイカに嫌われると考えるだけで、絶望的な気分になる。
 カオルにとってレイカの存在は何ものにも代えがたいものだった。チャットの会話の中ではいつも彼女の趣味・嗜好を意識し、彼女が喜んでくれることがカオルの生きがいであり、つまらない日常の中で唯一充足感に満たされる瞬間だった。
 つまり、カオルはレイカに恋をしていた。
 ――同性に恋心を抱いてしまう自分が認められなくて、現実の性別なんて関係のない電子の世界に逃げたのに……本末転倒だ。
 溜め息をつき、カオルはベッドに横になった。
 来週末……現実のレイカに会える。
 そう考えるだけで胸が躍るようだったが、リアルで出会うということは、これまでの電子での関係とは異なり、今後大なり小なりお互いの立場に変化が訪れるということでもあった。顔が見えなかった相手と直に会い、文字だけではわからなかったお互いの雰囲気や多くの情報を一気につきつけ合うのだ。お互いに、何らかの気持ちの変化が起こるのは容易に想像できた。
 果たして、それは二人にとって良い結末となるのだろうか。
 カオルの一番気がかりなことは、直接会うことで、もしレイカに嫌われ彼女の存在を失ってしまったとしても、彼女と出会う以前のように、その後自分はちゃんと現実を生きていけるか、ということだった。大げさかもしれないが、カオルにとっては人生を左右する岐路のように思えた。
「レイカ……」
 名前を呼ぶだけで胸が痛む。
 カオルは、眠れない夜が続いた。

 待ちに待った、レイカと会う週末。
 待ち合わせの公園でベンチに座り、カオルは緊張した面持ちで彼女を待っていた。固く握りしめた両手が、膝の上でかすかに震えている。
 黒髪のショートカット、服はストライプのシャツに細身のGパン。カオルは敢えてボーイッシュなスタイルでそこにいた。もともとこういう格好は好きだったが、レイカの想像を少しでも裏切らないよう、そして、これまでずっと文字だけで話してきたカオルという存在を現実でも認めてほしという気持ちからだった。
 レイカは、本当の姿の自分を受け入れてくれるだろうか……?
 何度も腕時計を見る。
 待ち合わせの時刻から、既に5分が過ぎていた。
 二人は、前もってお互いの特徴を話していた。カオルは黒髪ショートカットで細身体型、レイカは茶髪のロングヘアでワンピースを着て行くと言っていた。
 カオルの雰囲気は遠くから見れば好青年そのものだったが……。
 ――もしかして、遠くから俺の姿を見て幻滅して帰ってしまったんじゃないだろうか。
 不安でいてもたってもいられなくなったその時、背後から肩をポンと叩かれた。
「あなた、カオルでしょ? 遅くなってごめんね?」
 上品で明るい声。
 はっと振り返ったカオルは、思わず立ち上がった。
 清楚な淡い色のワンピース、抜けるような白い肌。風に優しく揺れる柔らかい髪。何よりも、長い睫に縁どられた大きな瞳と、桜色の唇が印象的だった。カオルの理想の女性がそこにいた。
「れ、レイカ……?」
 彼女のあまりの美しさに、言葉を失う。
 頷きながら微笑む彼女は、ふと眼前の人物の違和感に気付き、はっとした。
「カオル……もしかして、あなた女性なの?」
 恥ずかしさに顔を背けるカオル。
 チャットでは、レイカに対して大胆に愛をささやいたこともあった。
 レイカを目の前にし、改めてカオルは後悔していた。
「ご、ごめん……レイカ。俺、本当は……女なんだ」
 屈辱的な言葉を吐き、カオルは情けなさに唇を噛んだ。
 さすがに呆気にとられた様子のレイカだったが、すぐに笑顔に戻り、
「……やだ、どうして謝るのよ。性別がどうであれ、カオルはカオルじゃない」
 そう言ってカオルの手を握る彼女は、大輪の薔薇のように美しかった。
 カオルは、現実のレイカに再び恋をした。
 ――それから、二人はカフェに入り、改めてお互いのことを話し合った。
 いつもチャットで会話をしていたことがウソのように、話題が尽きることはなかった。お互いの仕事のこと、友人関係、趣味、価値観、過去の恋バナ……。二人は夜まで飽きることなく話し続けた。
 カオルは、長い間自分を騙していたと知っても変わらない態度で接してくれるレイカに、心の底から感謝していた。できれば付き合いたいとまで考えるようになっていた。
 だから、ディナーの約束があると言うレイカを駅の改札まで送り、彼女が「今日はありがとう」と振り返った瞬間。
「レイカ!」
 思わずカオルは叫んでいた。
「? なぁに?」
 首を傾げるレイカ。
 カオルは大きく息を吸い、彼女の目を見た。 
「レイカ。俺と――俺と、付き合ってください」
 唐突な言葉にレイカは一瞬目をぱちくりさせたが、すぐにいたずらっぽく微笑んだ。
「いいの? 私……すっごくワガママよ?」
「そんなこと関係ない! 実際に会ってみて、はっきり思ったんだ。チャットをしていた頃と変わらない……いや、あの時よりももっと強く、レイカが好きなんだって」
 真っ赤になって立ち尽くすカオル。
 レイカは微笑みながらゆっくりと彼女の前に歩み寄った。
「……ありがとう。私も好きよ、カオルのこと」
「えっ――」
 花のような笑顔を浮かべるレイカ。
 カオルは今聞いた言葉を心の中で反芻し、思わず聞き返していた。
「ほ……ほんとに?」
「もう、やだ。何度も言わせないで」
 照れたように俯くレイカ。
 ――こんなにあっさり受け入れてもらえるなんて……夢みたいだ。
「ありがとう、ありがとう、レイカ」
 レイカの手を取り、カオルは何度もそう繰り返した。
 二人は別れ際にケータイの番号を交換した。
 その夜、カオルは早速レイカに電話をかけた。
「……あの、今日はありがとう。あのあと、友達とのディナー、遅れなかった?」
『大丈夫よ。気にかけてくれてありがとう』
 レイカの明るい声が耳に心地よかった。彼女の笑顔が蘇る。
「あの、さ……また、食事に誘ってもいいかな?」
『もちろんいいわよ。ってういうか、付き合ってるんだから当たり前でしょ?』
「あ……そっか」
『ねえ、今度は私のおススメのお店に行きましょうよ。美味しいイタリアンを知ってるの』
「じゃあそこにしよう。次はいつが空いてる?」
 人生で最高潮の幸せをかみしめながら、カオルはその日、久しぶりにぐっすり眠ることができた。


 それから、カオルの日常はガラリと変わった。
 仕事から帰るとチャットをする生活は変わらなかったが、レイカとのチャットが終わると今度は電話で彼女と話し、週末もデートを楽しんだ。
 カオルの生活は、レイカ中心になっていった。
 会う度綺麗になっていくレイカは、カオルの自慢の彼女だった。
 その一方で、チャットによる呪われた掲示板≠フウワサは膨らんでいくばかりだった。どこかの高校で話題になったそれは、ネットの世界で尾ひれをつけてどんどん広まっていった。
 ケータイの端末を辿ってやってくる呪い
 レイカの友達とは以前連絡がつかない状況が続いているらしく、そのことはカオルの心にも小さな不安として残った。
 しかし、レイカとの関係が一番重要と考えるカオルの頭からは、ネット上の都市伝説などすぐに頭から消えていった。

 ――カオルとレイカが出会って二ヶ月が経つ頃、レイカの仕事が繁忙期にさしかかったため、二週間ほど会えない日が続いた。
 不安を胸に押し込めひたすら連絡を待っていたカオルのもとに、レイカから久しぶりに食事の誘いのメールが入った。
 胸を弾ませながら待ち合わせのファミレスに向かうと、すでにボックス席に座っていたレイカが立ち上がり手を振った。
 その時、カオルは彼女の隣に見知らぬ女性が座っていることに気付いた。
 席にやって来たカオルに、レイカは笑顔で言った。
「彼女、大学時代からの友人なの。カナよ。私達、親友なの」
「はじめまして」
 ポニーテールの女性はにっこり微笑んだ後、値踏みするようにカオルを見つめた。
「よろしく」
 ぶっきらぼうに言い、カオルは席に着いた。
 カナはカオルの態度を微塵も気にしない様子でレイカに寄り添った。
「このひとがレイカの彼氏=`? かっこいいじゃん」
「でしょう? カオルは優しくて素敵なひとなのよ」
「もう、ノロケないでしょ」
 カナは当然のようにレイカの腕に絡みつき、挑発するようにカオルを見た。
 ――なんだ、こいつ? 感じが悪い。
「カナね、私の付き合ってる人が見たいってうるさいから、連れてきちゃった」
「そうなの。お邪魔してごめんね〜」
 言葉とは反対に悪びれた様子のないカナ。
 カオルは楽しくなかった。いくら親友でも、久しぶりのデートの席に部外者を連れてくるレイカの気持ちがわからなかった。二人きりでゆっくり会いたかった。
 安いランチを早々に平らげ、デザートを食べたいとごね出すカナを制し、カオルは強引に伝票を掴んで会計を済ませた。
「はいはい、お邪魔虫は退散しますよ〜またね、レイカ」
「バイバイ」
 笑顔を交わす二人。
 カオルは苛立っていた。
 二人きりになると、カオルはレイカの手を引き傍の公園のベンチに座った。
「レイカ……なんだよ、彼女」
 隣に座ったレイカがきょとんとする。
「? 友達よ? カナがどうしてもカオルに会いたいっていうから、連れてきちゃったの。いけなかった?」
「ダメに決まってるだろ」
 カオルは口を尖らせた。「せっかくの久しぶりのデートだったのに。ちっともレイカと話せなかったじゃないか」
 そっぽを向くカオルをなだめるように、レイカはそっと膝に手を置いた。
「ごめんね、カナはちょっと人見知りが激しいのよ……。悪気はないの、許してあげて」
 レイカが微笑む。「私だって、カオルと久しぶりに会えて嬉しかったのよ?」
 その言葉に、カオルは思わずレイカを強く抱きしめていた。
 絶対に誰にも渡したくない――そう思った。

 しかし、その日以来、二人のデートの際には必ずカナがついてくるようになった。
 映画館に行く時も、食事の際も、ドライブする日でさえ、いつも三人一緒。
 カオルは自分を無視し必要以上にレイカに触れるカナの存在が不満だったが、そんな我が物顔で振る舞う彼女に何も言わないレイカの態度に一番イライラしていた。
 次第に、二人はカナが帰った後、毎回ケンカをするようになった。
「どうしていつも彼女がついてくるんだよ」
「断っても来ちゃうのよ、しょうがないじゃない。それに、みんなで居た方が楽しいでしょ?」
「俺は楽しくないよ、レイカ。君ともっと二人で会いたいんだ」
「わかってるわ……でも、カナは私にとって大事な親友なの。カオルにも好きになってほしいわ」
「出来ないよ、少なくとも今の状況じゃ……」
「カナのこと、嫌いなの?」
「そうじゃないけど、好きになれない」
「酷いわ……私の親友なのよ? カオルがそんな風に思ってるなんて」
 レイカも苛立ち始めていた。
 次第に二人の間はギクシャクし、お互いに全く連絡を取らない日が一週間続いた。
 意地を張っているだけだとわかっていたが、カオルはどうしてもカナの存在を容認できなかった。カオルの方から謝ってしまえば、カナはますます調子に乗って二人の間に踏み込んでくると直感していた。
 しかし、レイカと連絡を取ることが出来ない日々は、地獄だった。心が壊れてしまいそうだった。レイカに会えない……話せない、ただそれだけのことなのに、心のバランスが狂ってしまったかのように、カオルの現実の生活はめちゃくちゃになっていた。
 ――どうしてこんなことに……。
 原因は誰でもない、あの女なのに。
 あの女が、憎い……。
 カオルは、心の中でカナを罵った。何度も呪いの言葉をぶつけた。
 直接連絡をとることに気まずさを感じ、レイカとよく話していた2ショットチャットにログインしてみるが、彼女の姿はない。
 思い切ってメールを打っても、TELをしても、レイカは捕まらなかった。
 虚しい思いで荒れた部屋に座り込み、カオルは久しぶりにケータイのチャット掲示板を眺めた。そこには、すっかり有名になった呪われた掲示板≠フ噂話が並んでいた。
〈俺の友達、あれ……やったらしいぜ〉
〈マジかよ? どうだった?〉
 リアルタイムで会話が交わされている。
〈ほんとに日付が違ったらしいぜ〉
〈え? じゃあホンモノ?〉 
〈危ないじゃん!〉
〈やべえな……マジモンかよ〉
〈まさかほんとにあるなんてな〉
〈俺もビックリした。っていうかまだ信じらんねえ〉
〈URLは?〉
〈マジかよ、行く気かよ〉
 それが最新の書き込みだった。
 しばらく待っていると、画面に長いアドレスが表示された。
〈ここ、見るだけなら問題ないはず〉
〈俺、怖いからムリ〉
〈普通のケータイ小説サイトじゃん〉
〈確かに、日付が変だけど……西暦書いてないからわかんねえよ〉
〈誰か試しに書き込んだら?〉
〈誰もいねえだろ(笑)〉
〈挑戦者求む!〉
〈経過報告もな〉
 次第におどけた書き込みに変わったため、カオルはURLが掲載されたレスまで遡った。
 ――呪い=c…。
 そんなもの、あるはずがない。単なる噂、都市伝説だろう。
 だけど……。
 否定する気持ちとは裏腹に、カオルはURLをクリックしていた。
 ――『サイト・受信』
 気味の悪いロゴの下に、サイト名と同じタイトルの投稿小説があった。閲覧すると、確かに、書き込まれているコメントの日付はまちまちになっていた。
 しかし、西暦の表示がないため、これだけでは過去の日付とも未来の日付とも判断ができない。
 サイトの著作権表示に制作日が記載されているだろうと見当をつけたが、画面のどこにもその表示はなかった。問い合わせの文言もない。
 サイトの造りとしてはどうかと思うが、ずさんな管理をされているというだけで、とても呪われた掲示板≠ニは思えなかった。
 ばかばかしい……。
 ため息をつき、カオルは画面を閉じかけたが、ふいに手を止め真顔になった。
 ――もしかして……。
 心の中に、淡い光が灯った。
 カオルはすぐさまパソコンを開き呪われた掲示板≠フ情報を集め始めた。
 どのサイトでも似たような文言しか書かれていなかったが、その中にひとつだけ気になるサイトを見つけ出した。
 『るい』と名乗る女性が書いた日記――そこには呪われた掲示板≠ノついての詳細な内容と経過が書かれていた。
 カオルはそれを一心不乱に読み進めた。
 日記は途中で更新が止まっていたが、カオルが知りたい情報を得るには十分な内容だった。
 ――書き込んだら、近いうちに必ず事故で死ぬ。
 ケータイにのみ存在するサイト
 ケータイ所有者の亡くなる日を予告する日付
 呪いは、書き込んだ端末の所有者に降りかかる――絶対に抗うことはできない。
「もし、これが本当なら……」
 口の端を歪め、カオルは不敵に笑った。
 恋に怯えるカオルの姿はもうどこにもなかった。