作品タイトル『メル友』

第二夜:【掲示板】 V

 翌日、奈々江は学校をサボって駅前の喫茶店にいた。母親の手前、いつも通り学校へ行くフリをして出てきたため制服姿である。
 平日の昼間の店内で、一目で学生とわかる奈々江の姿は目立った。
 落ち着かない気持ちで紅茶を飲んでいると背後でドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
 ウエイトレスの声に振り返る。
 やってきた女性は、真っ直ぐに奈々江を見つめていた。
 ――るいさんだ。
 直感でそう思った。
 ストレートの髪、大人びた表情。心なしか、どこか見たことのある風貌だと思った。
 女性は沈んだ瞳で奈々江を見、ゆっくりと歩いてきた。
「はじめまして、るいです。……奈々江さんね」
 確認し、彼女は奈々江の正面に座った。
「そうです。昨夜は……ぶしつけなメールを送ってすみませんでした」
「いいのよ」
 静かに言い、るいはやってきたウエイトレスにコーヒーを注文した。
「わたし、ゆみゅみ☆のことを知っている人に、話を聞きたかったの」
「あの……るいさん、ゆみゅみ☆という人と会ったことは?」
「あるわ。オフ会で何度かね」
 オフ会……。
 奈々江ははっと思い出した。
 ――そうだ、この人……真弓とプリクラに写ってた人だ!
 凝視する奈々江の視線を受け流し、るいは運ばれてきたコーヒーを一口飲んだ。そして、決心したかのように奈々江を見た。
「あなた、ゆみゅみ☆のリアル友達なの?」
「リアル……? あ、そうです。クラスメートで……親友でした」
 過去形の言葉に、るいの眉がぴくっと反応した。
 奈々江は真弓と撮ったプリクラをテーブルに置いた。
「右に写ってるのが、あなたの言うゆみゅみ☆じゃないですか?」
 るいは大きく頷いた。
「この子は……本名を真弓と言います」
「聞いてるわ。私の本名はるみ子と言うの。真弓にも話したわ」
「るみ子さん……は、真弓と親しかったんですか?」
 るみ子は遠い目をした。
「オフ会仲間としても、チャット友達としても、おそらくお互いに一番仲が良かったと思ってるわ。奈々江さんのようなリアルの人間からすれば、所詮はネットだけの友達、と思われてしまっても仕方のない付き合いかもしれないけど……」
 奈々江は首を振った。
「そんなこと思ってません。ただ……私は知りたいだけなんです」
「知りたいって……」
「呪われた掲示板≠ノついてです」
 るみ子が目を伏せる。
「じゃあ……やっぱり真弓は……」
「――亡くなりました。去年の、11月10日に」
 るみ子がさっと青ざめた。
「ああ……やっぱり……やっぱり、そうだったの」
 うわ言のようにやっぱり≠ニ繰り返し、るみ子は頭を抱えた。さっきまでの冷静な雰囲気は消えていた。驚いたように両目を見開き、蒼白な顔で頭を抱えている。
「るみ子さん……どうしたんですか? 一体、何があったんですか?」
 なだめるように問うと、彼女は荒い息で語り始めた。
「最初は……最初は、なんの変哲もないサイトだったの。わたしも真弓もそういうの好きだったから……軽い気持ちで見ていたのよ」
「……何をですか?」
「ケータイ小説よ」
 小説……?
 るみ子は続ける。
「素人が自由に小説を投稿できるサイトで、投稿する側もレスする側も登録とか面倒なことが要らなかったから、使いやすいと思ったの。『まぁ』も……私のチャット友達も同じことを思ったんだと思うわ。だから彼女は、ある小説に対する感想をそこに書き込んだの」
「感想……」
「そう。……それが、間違いだったの」
 強い口調で言い切り、るみ子は奈々江を見た。その表情は恐怖に歪んでいた。
「じゃあ……つまり、そこが?」
「――そう、呪われた掲示板≠セったのよ。まぁは書き込みをした時、妙なことに気が付いたの。感想を書き込んだ日付が、現在のものと違っていたのよ……。だけど、大して気にはとめなかった。だから、私や真弓も軽い気持ちでそこに書き込んだのよ」
 るみ子達三人は何も知らずにそのサイトを利用した。だが、その後驚愕の事実を知ることになる。ひょんなことから閲覧したネット記事に呪われた掲示板≠フ存在が噂されていたからだった。
「その頃はまだ、呪われた掲示板≠ネんてただの噂みたいなものだったけど、でも私達三人には思い当たることがあった。私と真弓、まぁは既にその呪われた掲示板≠轤オきものを利用してしまっていたから……だから、ただ怖かった……恐ろしかった。だけど、そんなの迷信だってその時は思い込むしかなかった。何の根拠もない都市伝説だって……信じたかったから」
 るみ子の手が小刻みに震え、持っているコーヒーカップがカチャカチャと音をたてた。
「でもね、その後、まぁと……連絡がとれなくなったの。書き込みにあった未来の日付と、同じ日から」
 るいの震えは奈々江にも伝わった。ゾッとし、唾を飲み込む。
「真弓も怖がってた。まぁってば、冗談にしては酷いよって、二人で虚勢を張っていたけど、お互いに本当に怖かった。――そうしているうちに真弓の日付の日がやってきて……真弓とも、連絡がとれなくなったわ」
 三か月前の事故を思い出し、奈々江は目頭が熱くなった。
「そして次は、私なのよ……」
 るみ子が頭を抱え、突っ伏した。肩が小刻みに震えている。
「るみ子さん……?」
 彼女肩にそっと手を触れ、奈々江は自らの中にある恐怖心を振り払うかのように言った。
「大丈夫、きっと大丈夫ですよ……ただの偶然、不幸な偶然だと思います。だから、元気を出してください……」
 今のるみ子にとってはただの気休めだとはわかっていても、そう声をかけずにいられなかった。あまりに非現実的な内容に、奈々江は酷く眩暈がしていた。
 ――そんな、訳のわからないもののために真弓が死んだなんて……信じたくない。全部嘘よ。るみ子さんの勘違いよ……。
 祈るような気持ちで慰めの言葉を綴る奈々江を、るみ子はゆっくりと見上げた。頬に、いく筋もの涙が流れている。
「奈々江さん……気をつけてね」
 震える声。「あのサイトにだけは、近づかないで。あれは本物よ……まぁや真弓だけじゃないの、あれは他にもたくさんの人を呪い殺しているのよ」
 るみ子の目は、追い詰められた小動物のようだった。焦点が合っていない。
「るみ子さん……」
「ね、お願い、奈々江さん」
 るみ子はおもむろに席を立ち、奈々江の腕を掴んだ。「約束して、あのサイトには近づかないって。約束して」
 るみ子は信じられないほど強い力で奈々江の腕を握り締めた。彼女の爪が服を貫き、皮膚に食い込む。
「ッ!」
 振り払うこともできず、奈々江は唇を噛んだ。
「わ、わかりました……約束します。約束しますから……」
 絞り出すような奈々江の言葉に安堵したのか、るみ子は放心したように力を緩めた。
 奈々江は素早く腕を抜き、服の上から痛む箇所をさすった。
 力なくソファに腰を落とするみ子。
 一息おいて、奈々江は言った。
「るみ子さん……最後に、そのサイトの名前だけ教えてください」
「え……?」
 るみ子が虚ろな表情で奈々江を見る。
「決してそこに書き込んだりはしません。ただ、私自身の目で見てみたいんです。真弓の……その書き込みを」
 るみ子は小さく頷き、口を開いた。
「さっきも話したけど――投稿小説のサイトよ。管理人はわからないの。一体、いつ、誰が、サイトを更新しているのか、誰も知らない……」
 ――管理人がわからないサイト……。
 るみ子は続ける。
「そこは、以前まで主立ったサイト名すらなかったの。……だけど最近、そこに投稿された小説のひとつを……そのタイトルを借りて、仮のサイト名が設定されていたわ」
「その、名前は……?」
 奈々江は、ふいに訳の分からない不安が足元から這い上がってくるのを感じた。
 るみ子の唇がゆっくり動く。
「『サイト・受信』」
 ――受信。
 聞き覚えのあるフレーズだった。
 耳の奥に、あの日の喧騒が蘇る。人でごった返す渋谷駅、見慣れたハチ公の銅像……。
 こわっ出会い系サイトって
 自分のセリフが脳内に反響する。
 ――真弓と待ち合わせていた時、私はケータイ小説のサイトを見ていた。暇つぶしに、そこに投稿されていたホラー小説を読んだ。
 その小説のタイトルは何だった……?
「……大丈夫? 奈々江さん?」
 るみ子の声に、奈々江ははっと我に返った。
「顔色がよくないみたいだけど……?」
「あ……大丈夫です」
 身体が震えていた。心臓が大きく脈打ち、冷たい汗が背中を伝った。
「そろそろ出ましょうか」
 何も気づかないるみ子はそっと伝票を取り、先に歩き出した。
 奈々江は、感覚のない足で後に続いた。
 店外に出ると、るみ子は寂しげな表情で振り返った。
「奈々江さん、今日は……話せてよかったわ。ありがとう」
 ゆっくり礼をし、「もう、二度と会うこともないかもしれないけど……元気でね」
「――え?」
 はっとして見ると、るみ子は涙をこらえながら笑った。
「私の書き込みの日付ね、今日なの……」
 ――2月21日。
 るみ子の日記にあった日付を思い出し、奈々江は愕然とした。
「何も起こらないことを願ってるけど……でも」
 そこまで呟き、るみ子は小さく首を振った。「ごめんなさいね、こんな話……。それじゃあね」
 頼りなく微笑み、彼女はゆっくりと駅に向かって歩いていった。その背中はとても小さく見えた。
 しばらくそれを眺めた後、奈々江も反対方向へと歩き出した。視界が歪んで見える。
 ――日付、今日なの。
 書き込んだら、死んじゃうんですよ。
 呪われた掲示板=c…。
 次々と恐ろしい言葉が頭の中を駆け巡る。
 『サイト・受信』
 確かに聞き覚えのあるフレーズだった……私……私はあの時、どうした……?
 ふいに、心臓がぎゅっと縮まるような衝撃が走り、奈々江ははっと振り向いた。
 遠くまで連なるビル街。遠くなっていく、るみ子の背中。その頭上に、クレーンに吊り下げられた大きな鉄板が見えた。
 次の瞬間、鉄板は弾むように大きく揺れた。赤黒い表面が陽の光を反射し、刃のような残像を残したまま、るみ子めがけて一直線に落下していった。
 ――すべてが、一瞬の出来事だった。
 奈々江の視界からるみ子は消えた。
 辺りに響く轟音。土煙。
 作業員と通行人が悲鳴を上げるのが聞こえた。
 鉄板の下から路面に沁み出す赤いものを見止めた瞬間、奈々江は意識を失っていた。
 
 
 気が付くと、奈々江は自分の部屋のベッドに寝かされていた。
 ――私……?
 軽く頭を振って起き上がる。窓の外はもう真っ暗だった。
 さっきまで母親が付き添っていたのだろう、ベッドの傍らに椅子が寄せられている。
 それに気付いた瞬間、フラッシュバックのように昼間の情景が蘇り、奈々江は吐き気を催し、咳込んだ。
「そうだ……るみ子さん――るみ子さんが……」
 奈々江は素早く身を起こし、ケータイを開いた。以前真弓から送られてきたメールを開き、URLに飛ぶ。
 ――『サイト・受信』へようこそ。
 るみ子が話していたサイト名が現れた。
 そこには、あの日真弓を待つ間に閲覧した『受信』という名の小説がある。
 感想を述べる多くの書き込みの中に、奈々江は『ゆみゅみ☆』と――『まぁ』『るい』という名を見つけた。
 そして……。
〈今、出会い系サイトの事件って多いけど、こんな話が実際にあったらほんとに怖いですね(>_<;)/奈々〉
 紛れもない、自分自身のレスだった。
「日付……日付はッ?」
 恐る恐る視線を走らせる。
 奈々江が書き込みをしたのは、真弓が亡くなる当日、つまり11月10日のはずだった。
 しかし、そこにあった日付は――2月22日=\―明日だった。
「いやああああぁぁぁっ」
 叫んで、奈々江はケータイを壁に投げつけた。
 声に驚いてかけつけた両親が必死で彼女を押さえようとするが、彼女はめちゃくちゃにわめきながら暴れ続けた。部屋の中のものを片っ端から壊し、パソコンをなぎ倒すと、クローゼットの中のものをすべてぶちまけた。
 しかし、その拍子に足元に転がった小箱に気付くと、その場に崩れ落ちすすり泣いた。
 奈々江の両親は、事故を間近で見たことによる精神的ショックだろうと理由付け、一晩中奈々江を慰め続けた。
 しかし、翌朝、るみ子の事故死の目撃者の一人として事情を聞きに来た警察官が両親と共に部屋に入ると、そこに奈々江の姿はなかった。

 ――とにかく、気をつけていればいいんだわ。
 心の中で、奈々江は何度も自分に言い聞かせた。
 西暦はわからないが、書き込みの日付になっていた今日、奈々江は部屋にじっとしていることに耐えられず、一人で繁華街を歩いていた。目的地もなくふらふらとした足取りだったが、目だけはギラギラと殺気立ち、常に周囲を睨みつけていた。
 ――真弓のように、交通事故に遭うかもしれない。
 るみ子さんのように、上から何かが落ちてくるかもしれない。
必ず事故で死ぬ
 そう言われてはいるけど、通り魔に刺されることだってあるかもしれないわ。
 部屋に居ても何が起こるかわからない。どこにいても安心できない。
 それなら、こうやって常に移動し続けている方がまし。
 周りに気を付けて、決して誰にも近づかずに、ひたすら歩くのよ。
 今日一日を切り抜ければ、大丈夫なんだから。大丈夫なはずなんだから!
 思わず叫びだしそうな恐怖を抱えながら、奈々江はひたすら歩き続けた。
 すぐに昼になり、次第に日が暮れ始める。
 歩き疲れて膝がぎしぎしと悲鳴を上げても、奈々江は立ち止まらなかった。
「止まっちゃだめ……止まっちゃだめよ。死ぬのは、いや……」
 うわ言のように呟きながら、虚ろな瞳で前方を睨みつける。
 死にたくない、ただそれだけの感情が奈々江の身体を動かしていた。
 ――しかし、それでも体力の限界は近かった。
 見知らぬ街。大勢の人々が無表情で奈々江の脇をすり抜けていく。たまに奈々江の異様な雰囲気を見止め不審がる者もいたが、じきに視線を逸らし後方に消えていった。
 ここにはこんなに人がいるのに、誰も自分を助けてくれない。誰にも頼ることができない。奈々江の恐怖を話しても、きっと誰にも伝わることはない。どうしようもない孤独、やりきれない思い。
 ふいに虚しくなり、奈々江はゆっくりと歩調を緩めた。
 鉛のように重くなった両足は、まるで地面に吸いつくようにして動きを止めた。
「私……なにやってるんだろう」
 涙ぐみ、思わず顔を覆おうとした次の瞬間、奈々江の真後ろで乾いた音がした。
 振り返ると、歩道一面に大小様々なガラスの破片が飛び散っていた。導かれるように上を見上げると、ビルの3階部分のひとつの窓がぽっかりと口を開けていた。奈々江の足元に、壊れた桟の残骸がある。
「いやああぁぁっ」
 叫びながら、奈々江は一目散に駆け出した。
 道行く人に次々とぶつかり、人並みを押しのけ、その都度何度も転びながら、ひたすら走り続けた。
「だめ、とまっちゃだめ、だめ、だめ、だめ、だめ」
 呪文のように唱え続ける。
 体中が重かった。痛かった。汗が目に入り、鋭い痛みで視界が歪む。
 涙を拭いながら、奈々江は行くあてもなく走った。心臓が破裂しそうになるほど、とにかく走った。
 ――気付けば、あたりは真っ暗になっていた。
 走る体力も気力も失せ、奈々江は人気のない見知らぬ河川敷を歩いていた。舗装されていないそこは酷く歩きにくかった。
 時刻は、夜の11時半。
 街灯も何もない一本道。
 ふいに湿った空気に包まれ、頭上からしとしとと雨が降り注ぐ。
 次第に強くなる冷たい雨を顔に受けながらも、奈々江は虚ろな表情で歩き続けた。
 右手に見える住宅の家々に、温かい明かりが灯っている。
 ――お母さん、お父さん……心配してるかな。
 あと少し……あと少しすれば、あそこに帰れる。あと少しだけ頑張れば……。
 あてもなく歩く闇の中、奈々江の左手からさらさらと川のせせらぎが聴こえてくる。そちらに目を向けようとした瞬間――ふいに、背後からけたたましいクラクション音が響いた。振り向いた奈々江の両目を閃光が射抜く。
「きゃあッ」
 体勢を崩し転びそうになる直前、奈々江は、雨でぬかるむ地面にスリップしたトラックが、蛇行しながら猛スピードで迫ってくるのを見た。
 反射的に目を覆うと、バランスを崩し、河原側の土手に転がり込んだ。何度も回転し身体中を打ち付け、視界がメチャクチャになる。
 ――いや……助けて、死にたくない!
 地面に肩をしたたかに打ち付け、奈々江の身体はようやく止まった。
 むせかえるような草のにおいと泥の味。
 身体中の痛みを感じながら身を起こそうとした瞬間、前方で激しい衝撃が起きた。思わずその場に伏せ、奈々江は恐る恐る顔を上げた。
 さっきのトラックがもうもうと煙を上げ、河原に横倒しになっていた。
 降りしきる雨の中でもはっきりとわかる、焦げた音と胸のむかつく臭い。
 ――ガソリンが……漏れてる。
「あ、あぁ……っ!」
 奈々江は痛む手足を必死で動かし、雑草に覆われた土手を這い上がり始めた。雨と泥で足元が滑り、何度も転びそうになる。
 逃げなきゃ……逃げなきゃ、爆発する……!
 雨と恐怖で冷え切った指先が言うことをきかない。
 それでも、ぬかるんだ草むらを掻き分け、必死で土を掻き、ようやく奈々江は土手の上に辿りついた。
 腹ばいに倒れ込むと、闇の中に爆発音が轟いた。
 衝撃と熱風に突っ伏す奈々江。
 激しい熱波を背中に感じながら振り返ると、爆風にあおられたトラックの機材が噴射するように辺りに飛び散った。
 焼け焦げた小さな破片が奈々江の頭上に降り注ぎ、左足を突き刺した。
「ああッ……!」
 鋭い痛みが走り、奈々江は悲鳴を上げた。 
 起き上がり、ふくらはぎに刺さった破片に触れた瞬間、泥にまみれた腕時計が目に入った。
 針がまもなく0時をさそうとしている。
「……!」
 ――あぁ……! 今日が終わる。
 私……。私……。
 とうとう勝ったんだ。呪い≠ノ……勝ったんだ。
 生きてる、生きてるのね……!
「生きて……」
 奈々江の歓喜の悲鳴はそこで途切れた。前触れもなく鈍い衝撃が走り、奈々江の体は頼りなく後方へ倒れた。
 ――え……?
 奈々江は訳がわからなかった。
 喉が焼けたように熱く、息ができない。せり上がった血が口から勢いよく溢れ出し、身体が痙攣する。
 ――奈々江の白い首には、爆風で吹き上げられた鉄の杭が深々と突き刺さっていた。
 力なく投げ出された彼女の腕に、ガラスがひび割れた腕時計がある。針は、0時の1秒手前で止まっていた。
 勢いを増した雨が、叩きつけるように奈々江の体を覆う。
 しかし、見開かれたままの彼女の瞳は、もう何も映してはいなかった……。