作品タイトル『メル友』

第二夜:【掲示板】 T

「うっわ、こわ〜」
 独り言を言って、奈々江は顔をあげた。
 ハチ公前は今日もごった返していた。
 雑踏と人ごみの中で、奈々江は再びケータイに視線を落とした。画面は、今読んでいた掲示板である。
 その掲示板は、素人が作った電子小説を掲載し、ネット上で感想を言い合うというものだった。ネットサーフィンが趣味の友人、真弓が見つけてきたサイトだった。
 ちなみに、今奈々江はハチ公前でその真弓を待っている。彼女は既に30分遅刻していた。
 暇つぶしに、奈々江は以前真弓に教えてもらったそのサイトを閲覧し、投稿されていた『受信』という小説を読み終わったところだった。
「こわっ! 出会い系サイトって」
 思わず呟く。
 出会い系サイト利用者がみなこういう末路を辿るというわけではないのだが――。
〈今、出会い系サイトの事件って多いけど、こんな話が実際にあったらほんとに怖いですね(>_<;)/奈々>
 たくさんあるレスの一つに書き込むと、
「絶対、メル友≠ニかやめとこ」
 と、一人で誓った。
 反対に、真弓はメル友やらチャットのオフ会やらと、毎日のようにネット上で知り合った人間と交流している。
 ちなみに、真弓のハンドルネームは『ゆみゅみ☆』。今奈々江が閲覧している掲示板にも、ゆみゅみ☆の名前で『受信』に対する感想が載せられている。
「これって真弓かなあ」
 ゆみゅみ☆の書き込みの日付を見ると、今日になっていた。
「もしこれが真弓だったらゼッタイ許せない! もう40分も遅刻なのに、ケータイいじる時間はあるわけ? だったら遅れる≠ニか一言連絡入れてこいっての」
 待ち合わせは15時。
 カップルや女子高生の群れが通り過ぎるのを横目に、奈々江はため息をついた。
 それからさらに30分待ってみたが、真弓はケータイにも出ず、何の連絡もしてこなかった。
 奈々江は無神経な友人に心底呆れ、明日登校した際一言文句を言うことにし、一人で話題の映画を観て帰宅した。
 ――真弓が交通事故で死んだという知らせがあったのは、その日の夜遅くだった。

 真弓の葬儀は身内だけで行われた。
 高校のクラスメートである奈々江は、真弓の母親からいくつかの遺品をぶしつけに渡されただけで、お悔やみの言葉すら聞いてもらえなかった。
「きっと、あまりに突然すぎてショックだったのよ」
 あまりの冷たい態度に傷つく娘を気遣い、奈々江の母はそう言った。
 ――おばさん、真弓の親友だった私のことすら忘れたみたいだった……。
 着替える気力もなく、奈々江は自分の部屋で真弓の遺品をぼうっと眺めていた。
 真弓が大切にしていたプリクラ帳、ケータイ、好きな男性歌手のアルバムCD。どれも、真弓の部屋で見たことがある。
「奈々江との待ち合わせ場所に行く途中だったみたいね、信号無視のトラックに……」
 あまりに悲惨な事故だったらしい。新聞記事を切り抜き、母は、帰宅した奈々江にそっと手渡した。
 記事によると、スピードを出しすぎたトラックが赤信号に気付き、急ブレーキを踏んだが止まりきれずバランスを失って歩道に突っ込んだのだという。そこで信号待ちをしていた通行人の数人が重軽傷を負ったが、その中で亡くなったのは真弓ただ一人だった。
「なんでよ……真弓」
 ベッドに突っ伏し、奈々江は泣き続けた。どうしようもなく悔しかった。
 奈々江との思い出が次々と蘇る。中学の頃に仲良くなってからずっと同じクラスで、バカなことばかり言い合って、時にはテストの点数を張り合ったり、片方が失恋をした時はいつも、もう片方が近所のケーキ屋さんで慰める意味を込めて奢ってあげたり。
 放課後はいつもゲーセンで遊んで、プリクラを撮って……手帳はいつも真弓との2ショットでいっぱい。
 帰り道のファミレスでクラスメートの愚痴を言い合ったり。たまには奈々江の家で勉強したり。
 真弓の明るい笑顔が蘇る。
 ちょっと抜けているところも、たまに遅刻するところも、ちょっとしたことでムキになるところも、全部、本気で嫌いだったわけじゃない。そりゃたまには喧嘩もしたけど、お互いの悪いところを言い合って仲直りして……そんな気の置けない仲だったのに。そんな存在は真弓だけだったのに。
 なんで真弓だけ死んじゃったの?
 私と待ち合わせなんかしなければ……あの道を通らなければ、真弓は生きてたのに。
 ごめんね、ごめんね真弓……。


 ――奈々江の気持ちとは裏腹に、現実の時間は流れていく。
 真弓の事件が段々と報道されなくなり、新しいニュースに掻き消されていく。
 真弓の机に飾られた花も一か月ほどすると席替えとともに取り払われ、真弓がいた席には何事もなかったかのように男子生徒が座っている。
 一人欠けたお弁当仲間。最初はしんみりとしていたが、今はもうみんな恋愛話に花を咲かせながらお菓子の食べ比べをしているくらいだ。
 ……真弓がここにいたことが、嘘のよう。
 だが、奈々江の机の上には真弓の遺品がある。それを見る度に、真弓の存在の大きさを実感し、涙が出る。
「例えみんなが忘れてしまっても、私達、親友だよ」
 真弓と撮ったプリクラを眺め、呟く毎日。
 それでも、二ヶ月を過ぎると、段々と、真弓の死に現実感が持てなくなってくる。
 ――真弓が死んだなんて……ウソみたい。
 そうよ、真弓はきっと、ここではないどこか別の場所で生きている……ただ、会えなくなっちゃっただけよ。
 死≠ニいう残酷な事実を、奈々江は少しずつただ会えないだけ≠ネのだという妄想にすり替えていった。それは、親友を失い壊れかけた奈々江の心を正常に戻すために必要な嘘≠セった。


 真弓の死から3か月。
 ようやく立ち直りかけていたある日、学校から帰宅した奈々江は、食卓テーブルに置かれた一枚の紙を見つけた。
 同窓会に行ってきます。パパも今日は出張みたいだから、戸締り気をつけてね。夕飯は冷蔵庫の中です。温めて食べてね。なるべく早く帰るようにします。 母
「……そういえば、今日でかけるとか言ってたな」
 部屋で着替えを済ませ、奈々江は早速冷蔵庫を開けた。ラップのかかった皿を取り出し、レンジで温める。
 早々に夕食を済ませ、奈々江はリビングのソファに寝転んだ。あの日から、宿題のない日はこうしてだらだらと過ごすようになっていた。まだ、自発的に何かを楽しむ気にはなれなかったからだ。
 夜7時になっても、家には誰も帰ってこなかった。
 一人っ子の奈々江は、話し相手のいない広い空間に虚しさを覚え、テレビを点けたが、バラエティ番組の黄色い声が耳障りに感じ、すぐに切った。
 ため息をつき、奈々江は部屋に戻った。
 ベッドに座って明日の授業の準備をしていると、ふいにクローゼットが少し開いていることに気が付いた。珍しく今朝は遅刻しそうになり、着替えももどかしく部屋を飛び出したせいできちんと閉めきれていなかったのだろう。
 クローゼットを開けると、ふと隅に置かれた小さな小箱が目に付いた。真弓の遺品を入れておいた箱である。
 取り出し、机の上に置く。蓋を開け、中の遺品を一つずつ並べてみた。
 手帳、ケータイ、CD。
 真弓の母から受け取って以来、たまにプリクラ帳を眺める程度だったが、ますます真弓の死を自覚するようで辛く、一か月ほど前にクローゼットにしまいこんだのだ。
 奈々江は、そっとプリクラ帳を開いた。
 小さな手帳には、大小様々なプリクラが隙間なく敷き詰められていた。奈々江と並んで写っているものもあったが、大半が顔の知らないメンバーとの2ショットだった。それぞれの写真の横に○○サイトオフ会! 12月5日≠ニ言った日付やメッセージが丁寧に書き込まれている。
「すごい数……」
 ――そう言えば、真弓はHPを持ってたから、知り合いが多かったんだろうな。
 この中の何人が真弓の死を知っているだろう。
 奈々江は心の中で、真弓ごめんね、と呟き、真弓のケータイを開いた。充電切れになっていたため、同じ機種を使っている自分の充電器をセットし、起動する。
 アドレス帳を閲覧すると、いくつかのフォルダにあだ名ばかりがびっしりと登録されていた。
「きっと、サイト仲間ね」
 100件近い名前を閲覧していると、中にはアドレスの他にURLが記載されているものがあることに気付いた。
 ――この人のHPかな?
 クリックしようとしたが、真弓のケータイはもう解約されているためネットには繋げない。
 奈々江は真弓のケータイを眺めながら、自分のケータイを開き真弓のHPへ飛んだ。
 『ゆみゅみ☆のホームページだょ』
 ――真っ先に、真弓の描いた可愛いイラストが飛び込んでくる。HPには、日記、チャット、掲示板、イラスト投稿、の四つのメニューがある。
 『ゆみゅみ☆』の日記を開くと、更新が三ヶ月前で止まっていた。――真弓の亡くなった日の前の日だった。
 掲示板には、サイト更新が滞っていることを心配する書き込みがたくさんあった。
「真弓……学校以外に、こんなにたくさん友達がいたんだ……」
 ――さっきのアドレスの人達もこのHPに来てたのかな。
 膨大な数の書き込みを眺めていると、過去のコメントの奇妙な文言が目についた。
〈ゆみゅみ☆、大丈夫? わたし、あと二日だよ……/まぁ〉
「あと二日=c…?」
 なんのことだろう?
 さらに過去の日付を辿ってみたが、他には何も関連するような書き込みはなかった。
 再度、ゆみゅみ☆の日記を開く。
 ゆみゅみ☆の日記は日常の出来事を綴った他愛のない内容のものばかりだった。しかし、亡くなる前日だけは明日は友達――奈々江のことである――とショッピングに行く≠ニしか書かれていなかった。これまでの明るい文面と違い、そっけない内容が気にかかったが、特に大した問題には思えなかった。
 ――それよりあと二日≠チて、一体なんなんだろう?
 奈々江の中に生れた疑問は、帰宅した母親の慌ただしいチャイム音によってかき消されてしまった。