作品タイトル『メル友』

第一夜:【受信】 V

 それから、私は毎日「てつや」とメールをするようになった。仕事のちょっとしたミスから、日常生活の些細な出来事、普段思っていることやグチまで、不思議とてつやには何でも話すことができた。彼も、私の話を親身になって聞いてくれた。彼と話せた夜は、ぐっすり眠れるようになった。 
 ――テツヤを失った心に、新しい居場所を見つけたような気がした。
「最近明るくなったじゃん、ケイコ」
 化粧室で、同僚に声をかけられた。「彼氏でもできたの?」
「ふふ、内緒」
 そう言って微笑む余裕もできていた。
 日に日に、テツヤとの辛い思い出は心の中から消え去っていった。
『――あれからどう? メル友できた?』
 再会してから一週間後、マユから電話があった。
「うん、できたよ。グチとか聞いてくれる、すごくいい人」
『よかったじゃない。会おうとか言ってきた?』
「ううん、全然。ほんとにただのメル友って感じ」
『へぇ。写メとか見たの?』
「うん」 
 てつやから送られてきた写メはとてもかっこよかった。正直かなりのイケメンだったが、かすかに微笑む目元が穏やかで、どこか安心できた。
『へぇ〜イケメンかぁ、いいなあ〜。でもきっと、そのうち向こうから会おうって言ってくるわよ。一応、気をつけてね』
「大丈夫、会わないよ」
 笑ってそう言ったが、正直写メを見てから一度会ってみたいという気持ちになっていた。彼は私の好みど真ん中だったから。
 ――いけない、いけない。変な事件になんてなったらイヤだもの。
 とは言え、実際てつやは、テツヤとは正反対の性格だった。真面目な会社員で、平日は夜遅くまで仕事をし、それでも毎日メールをくれる。 
〈こんばんは、もう寝ちゃったかな? ――てつや〉
〈こんばんは。お仕事お疲れ様! 今日も遅かったんですね〉
〈今、重要な仕事を任されてるから、残業が多くて。ケイコさんは仕事のほうはどう?〉
〈今は落ち着いてます。てつやさんにいっぱいグチったから、気持ちもだいぶ楽になったし〉
〈それはよかった! 力になれたみたいで、嬉しいな〉
 出会い系サイトなんて信用できないと思っていた頃のことが嘘のように、私はてつやとのメールにハマっていった。


「ケイコ」
 呼ばれて振りかえった時、私はあまり驚かなかった。
「テツヤ……」
 日曜日、ショッピングに出た街で偶然テツヤと再会した。彼はちっとも変わっていなかった。
「久しぶりだなあ」
 にやにや笑うテツヤに、私は悠然と微笑み返した。
「久しぶりね。あ、そうそう、言われた通りテツヤの荷物、ちゃんと捨てておいたわよ」
「ああ、助かるよ」
 ――何が助かるよ≠諱B
「何か用?」
「いや、俺がいなくなって泣き暮らしてんじゃないかと思ってさ」
 バカじゃないの。ここまで厚顔無恥だとは思わなかった。
 心がスーッと冷えていくのを感じた。
「まさか……私は元気よ。素敵な彼ができそうなの。とても幸せよ」
「へえ」
「テツヤも新しい彼女と幸せにね。さよなら」
 言って、私は歩き出した。振り返らなかった。彼がどんな表情で私を見送ったかなんて、どうでもよかった。彼とのことすべてが、もう古い過去だった。
 ――その夜、私はてつやにこうメールを送った。
〈今日、元彼と再会したんです。けど、もうなんとも思わなかった。心がスッキリって感じで。てつやさんのお陰かも〉
 てつやはすぐ返信してきた。
〈そうか……それは良かったね。というか、なんだか正直ホッとした。いつかヨリを戻しちゃうんじゃないかって、ちょっと心配だったから〉
〈まさか! それはないですよ。これでちゃんとけじめもついたし〉
 少し、返信が遅かった。心配していると、こんなメールが入った。
〈――あの、イヤじゃなかったらなんだけど、もし良かったら、今度ごはんとか食べに行かないかな? 仕事の区切りがついてきて、うまくいきそうなんだ。その前祝いっていうか……ケイコさんに祝ってもらえたら嬉しいなあって思って……〉
 その文面に、内心とてもワクワクした。心のどこかで、てつやと会えるきっかけを待っていたのかもしれない。
 しばらく経ってから、こう返信した。
〈はい、喜んで。ぜひ、お仕事成功の前祝い、させてください〉
〈ありがとう。よかった。じゃあ来週の日曜日はどうかな?〉
〈大丈夫です。空けておきますね〉
 ついに会えるんだ……。
 送信画面を眺め、私は微笑んだ。出会い系サイトの事件など、とうに頭から消えていた。

 それからの一週間は、とても長かった。
 てつやとメールをする夜が待ち遠しく、少しでも早く帰宅すると、ずっとケータイの画面を眺めるようになった。
 最近、てつやはいつも同じ時間にメールをくれるが、それでも少しでも早い時間に、
〈受信中です〉
 という画面に気付くといてもたってもいられず、早く、早くとケータイを握りしめる癖がついた。
 たまに、
〈やっほーケイコ。今ヒマぁ?〉
 なんていうどうでもいいメールが来ると途端に体中の力が抜けてしまう。
 てつやがメールをくれる夜10時が待ち遠しかった。
〈こんばんは。日曜日だけど、何時くらいがいいかな? ――てつや〉 
〈てつやさんの都合のいい時間で大丈夫です。合わせますよ〉
〈ほんとに? 実はオススメのお店があるんだけど……昼間だと万が一仕事が入っちゃうといけないから、ディナーはどうかな、と思ったんだけど……厚かましいかな?(笑)〉
〈いいえ(笑)いいですよ、当日楽しみにしてます〉
 手帳に時間と場所を書き込み、私はウキウキしながら日曜日を待った。


 しかし、日曜日の朝早く、私は同僚からの電話で叩き起こされた。ある社員が商品発注の桁数を間違えたため、明後日の納品日までに急遽総出で修正にあたらなくてはならないということだった。当然のごとく、私も休日返上で会社に駆り出された。
 職場は戦場だった。十台ある電話機は常に鳴りっぱなし、パソコンを打つ慌ただしい雑音に指示を飛ばす社員の怒号が被さる。
 受話器を片手にテープの早回しのように謝罪の言葉を吐く社員達。呆気にとられている私に気付き、一人が、電話を取れ、と顎で合図をした。
 けたたましく鳴り響く電話を取ると、耳を塞ぎたくなるような怒声が飛び込んできた。
 昼食もままならずひたすら対応に追われる中、私は焦っていた。
 ――てつやさんとの約束の時間は18時。
 初めてのデートなのに……お願いだから、早く終わって!
 泣きそうな思いでパソコンに向かうと、また傍の電話が喚きだす。
 ――あっという間に夜はきた。
 ようやく発注修正のめどが付き、慌ただしかった社内の空気が落ち着きを取り戻していた。安堵のため息をつきながら、一人、また一人と帰っていく。
 くたびれ果てた社員の波に流れを任せ、私も重い鞄を引きずりながら会社を出た。
 腕時計の針は、21時半をさしていた。
 てつやにメールを送っても、返信はない。
「きっと、連絡もなく待たされて、怒っちゃったんだ……」
 思わず涙ぐむ。
 やっと見つけた大切な存在だったのに……こんなことで失くしちゃうの?
 ううん、もしかしたら……。
 私は鞄を肩にかけ直し、駅まで走った。
 待ち合わ場所は電車で五つほど先の有名高級レストラン。
 もしかしたらまだ待っていてくれるかもしれない……淡い期待を抱きながら、私はヒールで痛む足を必死で動かし、ひたすら走った。