作品タイトル『メル友』

第一夜:【受信】 U

 バーに着くと、マユはカウンターでカクテルを楽しんでいた。
 仄暗い店内にはいくつかボックス席があり、そこかしこにカップルの姿がある。
 マユの隣に座り同じカクテルを選ぶと、私達は再会に乾杯した。
「ほんとに久しぶりね。びっくりしたわよ。今日はどうしたの?」
「たまたまこの近くで飲み会があってね、ちょっと前に解散したんだけど、そう言えばケイコの家が近いな〜と思って。急に誘うのはどうかなと思ったけど、すごく懐かしくなっちゃって」
 マユのその言葉は純粋に嬉しかった。
「そうなんだ。でも、飲み会って……もしかして、また合コン?」
「そんなとこ」
 不敵に笑うマユ。結婚して以来会うのは初めてだったが、遊び好きなところは独身時代から変わってないようだ。
「いいの? そんなの行って」
「ああ、ダンナ? 今日は帰り遅いし。たまには息抜きしなきゃって感じよ。それよりケイコは? 最近どうなの。仕事とか」
「ああ……」
 つい言葉に詰まってしまう。「最近はね……ミスばっかりしちゃって。今日もそれで残業してきたとこ」
 マユには、飾りや繕いの言葉は必要なかった。それだけ、信頼していた。
 落ち込んだ気持ちをため息に変えて俯いた時、マユがポツリと言った。
「……ケイコ、あんた別れたんでしょ? テツヤと」
「え」
「わかるわよ、すぐ顔に出るから」
 長年の付き合いだ、さすがに鋭い。さらりと言い当てられて少々情けないが、逆にホッとした。
「そう、別れた。振られたのよ――一方的に」
 はっきり言うと、胸がスッとした。
「やっぱりね……なんか信用できなそうな男だったもんね」
「マユの言った通り、浮気性だったしね。あ〜もう……ムカつく!」
 大声を出し、私は堰を切ったように今までの辛かった気持ちをぶちまけた。正面にいたバーテンダーは一瞬驚いた表情を見せたが、マユがウインクしてみせると、また静かにグラスを磨き始めた。
 マユには、テツヤと付き合いだした頃から色々話してあった。彼女は、最初からテツヤのことが気に入らないようで、色々助言をしてくれていたが……結局は、私がテツヤを信じたいということで見守ってくれていた。
「ケイコ、テツヤと付き合いだしてから、誘っても合コンこなくなったし、頑張ってマジメちゃんしてたのにね。ほんと最低よね、アイツ」
「束縛が酷かったから、ね……今思い返すと、バカみたいよね、私」
 自分で言ってふいに泣きそうになった私に、マユが新しいカクテルを差し出した。
「いいじゃん、そういう時は合コンでしょ。パーッと騒いで忘れよ?」
「合コンかあ……」
 気乗りしない自分に活を入れるつもりで私はカクテルを一気に飲み干した。
「そういえば……ねえ、今日の合コンはどうだったの?」
 私の問いにマユがにやりと笑う。
「ごめんごめん、今日は違うの。メル友と遊んでてさあ」
「……メル友?」
「そう、出会い系のね」
「出会い系って……マユ、危なくない? そういうの」
「何が? 全然ヨユーよ。ヤリモクとかなら文面でわかるし。そういう奴とは会わなきゃいいんだもん。逆に二度と出会わない相手だと思うと、お互い気兼ねしなくていいし、飲み友達みたいになったり、グチとかも聞いてくれたり、結構面白わよ?」
「でも……事件とかよく聞くじゃない」
 マユが笑う。
「だぁいじょうぶだって。文章見ればどんなやつかなんてだいたいわかるしさぁ。会いたくなきゃ、会わなきゃいいのよ。ああいうのやる男って飢えてるからさぁ、決定権は常にこっちにあるわけ。どうしてもうざくなったらアド変えればいいんだし」
「だけど、所詮出会い系じゃない。マトモなひとなんているの?」
「それは現実だって同じことよ。学校だって、会社だって、あーんなに人がいるのに、なかなか気の合う人間に出会えることなんてないじゃない? 大抵はその場限りの浅い関係じゃない」
 マユが長い爪でケータイを指さす。「でもこれなら、たくさんの登録者の中から、お互いの価値観が合うひとをすぐに探し出せるわけよ。現実の出会いより、よっぽど効率的だと思わない? 現実の浅い付き合いと、メールだけの浅い付き合い。どっちだって同じことよ、要は考え方よ」
 あっけらかんと笑うマユ。
「そうは言うけど……」
「――じゃあ、ケイコもやってみたら? 出会い系サイト」
「えっ」
 言うが早いか、マユはURLの載ったメールを送ってきた。
「そこ、迷惑メールとか来ないから大丈夫よ。何かあったら言って、私もやってるとこだから、安心よ」
「ちょっと待ってよ、やらないってば」
 尻込みする私を見て、マユはなだめるように言った。
「リア友だけが人間関係じゃないわよ。顔の見えない相手だから話せることって、結構あるじゃない? どうしたってストレス溜まる世の中なんだからさ……」
 一瞬遠い目をしたマユを見て、私は何も言えなくなってしまった。
「まあ、気晴らしにでもやってみて」
「う……ん」
 あまり気乗りしないが、とりあえず頷いておいた。「ねえ、それより、今日は帰らなくていいんでしょ? ウチに来ない?」
 正直まだグチり足りなかったのだ。
「いいねぇ、久しぶりに飲み明かすか〜!」
 と身を乗り出すマユのケータイが、突然鳴り出した。
「げ」
「どうしたの?」
「ダンナ。早く帰ったみたい。お前も帰ってこいって……メール」
 マユが溜め息をつく。「ごめんね、今日は付き合えないわ」
 言って、マユはさっと伝票を取った。
「付き合ってくれたお礼、おごらせて」
 とそそくさと会計を済ますと、「ほんとごめん。今度合コン呼ぶからさ。おやすみ!」と、早々とタクシーに乗って帰っていった。
 肩透かしをくらわされた私は一気に力が抜け、徒歩20分の道のりを歩く気も失せ、通りがかったタクシーに乗った。


「さて……と」
 帰宅し、着替えを済ますと私はソファに身を沈め、ケータイを開いた。
 独り言がやけに響く。この間までは狭かったはずの部屋がとてつもなく広く感じ、まるでこの世に一人きりになったような孤独に襲われる。
 やはり、ひとりは慣れない。
 帰ると真っ暗な部屋。電気を点けても、ただいまと言っても誰も応えてはくれない。
 他人の温かさを失った部屋は、とても空虚だった。
 そんな空間に一人で帰る生活は、上京したての不安と寂寥感を思い起こさせる。
 ――ひとりはイヤだった。だからテツヤと住んでもいいと思った。ちょっとくらい安定しない彼でも、きっと一緒に暮せば変わると思っていた。
 でも……それは彼に浮気しやすい環境を与えただけだったのかもしれない。
 思い出して、私は軽く首を振った。
 正直、あれからろくに眠れていないのだ。
「今夜もまた眠れないのかな……」
 呟き、溜め息をつく。ケータイの画面には、マユから送られてきたURLがある。
 どうせ眠れないのなら、気を紛らわす意味でもいいのかもしれない。こんなところでグチを聞いてくれる相手が見つかるとも思えないけど、適当に誰かと話すくらいなら暇つぶしにいいかも。
 少し酔いの回った頭でそう納得し、URLをクリックした。とにかく誰かと話したかった。
ようこそゲストさん! 架空請求一斉ナシ! 優良サイトで上質な出会いをしませんか?
 突然、画面にありがちな文句が現れた。
「これだから怪しいと思っちゃうのよね……」
 まあでも、マユもやってるって言ってたし、大丈夫よね。
 年齢に関する同意文句を確認し、ENTERを押す。
 ピンクを基調とした色とりどりの画面には、投稿画面と地域別の掲示板がずらりと表示されていた。
 躊躇いながらも都内をクリックし、閲覧する。
〈裕介・18歳・男 やっほー。かなり暇してるよ。誰でもいいからメールしよっ〉
〈ケン・25歳・男 とび職の25♂。今夜か明日の夜、都内で会える人希望〉
〈たかし・31歳・男 長く続くメル友募集。趣味は読書。映画もたまに観るかな。同じ趣味の人いませんか?〉
 画面には、男性のハンドルネームと年齢、投稿文がずらりと並んでいた。
「へぇ……こんなふうになってるのね」
 明らかにそれ目的の文面もあれば、生真面目なものもある。書き込みの横にあるメールマークをクリックすると、書き込んだ本人のアドレスへ直接メールを送ることができるらしい。
 コーヒーを飲みながら何気なく閲覧していると、ふいに一つの書き込みが目に付いた。
〈てつや・24歳・男〉
 ――テツヤと同じ名前……年齢。
〈こんばんは。会社員のてつやって言います。最近仕事やプライベートでへこむこと多くって……メールだからこそ話せることってあるよね。よかったら誰か話しませんか? 普段の何気ないこととかメールできたら嬉しいな〉
 メールだからこそ話せること……。
 気づけば、私はメールマークをクリックしていた。
〈てつやさん、はじめまして。ケイコって言います。私も最近、仕事とかうまくいかないことがあって悩んでます。よかったらお話しませんか?〉
 送信ボタンを押してから、はっとした。
 ――何も考えずに送信しちゃったけど、変なことになっちゃったらどうしよう……迷惑メールとか……だいじょうぶかな。
 不安になったが、もう遅い。画面は「送信完了」になっていた。
 どうしよう、とソファに突っ伏したところで、ケータイが鳴った。「てつや」からのメールだった。
〈メールありがとう、嬉しいです。改めて、俺はてつや、24歳の会社員です。やっぱり仕事してると辛いこと多いですよね〉
 まともな文章。なんだ……。ホッとした。
「えっと……そうですね。私は上京してきて三年目だけど、仕事とか友人関係とかでこじれたり、たまにすごく寂しくなったりします。=c…と」
 送信。――てつやからの返事は早かった。
〈分かります。俺も東京は二年目なんですよ。ケイコさんのほうが先輩だね。最近地元の友達とか次々結婚していくし、ちょっと焦ってます(笑)〉
〈私の友達も結婚ラッシュで……焦りますよね(笑)なのに私のほうは全然だめ〉
〈……失礼だけど、彼氏とかは?〉
〈別れちゃったんです、最近。もう本当にサイッテーな人で。なのに引きずっちゃってるし、仕事で大失敗しちゃったり、本当どうしようって感じで〉
 気づくと、マユにしか話せなかった愚痴を書き連ねていた。
〈そっか……俺も昔振られたときはすっごいへこみましたよ。仕事なんて手につかなかったし……あ、ケイコさんが振られたとは限らないか(笑)失礼なこと言ってばっかりだな。でも、元気出してくださいね! 仕事だって、頑張りすぎはよくないですよ〉
 「てつや」からのメールは温かく、思わず涙が出た。これまで吐き出せなかったしこりが涙と共に流れていく。
 彼の言葉ひとつひとつが、疲れた心に心地よかった。マユにグチりきれなかった怒り任せの感情をぶつけても、彼はその都度紳士的で丁寧な返信をくれた。
 ――夢中でメールを送り続け、気が付くと、夜中の2時を過ぎていた。 
 もう少しメールを続けたかったが、お互い明日も仕事があるということで今日は終わることにした。
〈てつやさん、明日もメールしていいですか?〉
〈はい、喜んで。今日はありがとう。おやすみなさい〉
 最後まで優しい彼の言葉に、私は心が躍るのを感じた……。