作品タイトル『memories -3 years ago-』

 1.

  行かなきゃ。
   彼に渡さなきゃ。
   伝えなきゃ……大切なこと。
   今日だけなんだから……勇気を出せるのは――



*********


 満開の桜が誇らしげに枝を広げる、三月。
 門出を祝福するかのように澄み渡った晴天のもと、とある中学校の校庭に人だかりができている。色とりどりのコサージュを胸に談笑する生徒達。別れを惜しみながらも、一人、また一人と門の外へ消えて行く。それを見守るかのように、ゆるやかな坂の通学路に花道のような桜並木が続いていく。
 その様子をじっと二階の教室から眺めている女生徒がいる。彼女の名前は、館倫≪やかた りん≫。栗色の少しくせっ毛のあるセミロング。紺のセーラー服に赤いリボンがよく似合う、はつらつとした少女である。その胸元にも小さなコサージュが飾られている。
「あ〜この桜並木ともお別れかぁ」
 ため息をつく倫。その隣に別の女生徒が歩み寄る。
「早かったわね、もう卒業だなんて。この調子で、高校もあっと言う間に終わっちゃうかもしれないわね」
「ちょっと、清香! 寂しいこと言わないでよ」
ふくれっ面をする倫を、少女が不適な微笑みで見下ろす。
少女は宮瀬 清香≪さやか≫。黒髪のストレートロングがよく似合う。男女共にネクタイ・リボンが自由に選べるこの学校で、清香はミントグリーンのリボンを選んでいた。少女は元生徒副会長であり、倫とは幼なじみである。
「今年も満開だあね〜。この絶景がもう見れなくなるなんて、寂しいな〜」
「高校にだって桜はあるわよ」
「う、そうだけど……」
 いつも冷静な清香。
「でもさ、こんな景色なかなかないと思わない? あんな遠くまで桜並木が続いてるのよ」
「まあね」
「あ〜あ、一年の時は四階だったから遠くまで見渡せたのにな〜。二階からじゃね……」
「式が終わってずいぶん経ったし、もう一年生もいないんじゃない? 最後の見納めに上ってきたら?」
「そうしようかな」
 清香の提案に駆け出そうとする倫。それを、別れと旅立ちの言葉に彩られた黒板を背に写メを撮っていた一角が大声で制止した。
「ちょっと倫、どこ行くのよ〜!」
「ほらっ写メ撮るよ、写メ!」
 倫と清香は女生徒達に強引に腕をひかれ、記念写真を撮っている群れに混じった。
「ねえ、うまく撮れた?」
「お、これいいじゃん」
「あんたの変顔っ」
「笑える〜」
「げ、あたしもう充電ないわ」
「んじゃ、あとで送るよ」
 他のクラスメートが帰った後も、入学時から仲の良い倫達五人グループは飽きずに談笑している。
「……ね、そろそろさ、リボン交換しようよ。あたし達の友情の証に」
「いいね、やろやろ!」
「っていうかあたし達、他にあげる相手いないのかよ」
「どんだけ仲いいのって感じだよね」
「……あ、ごめん。私のリボン、一年前に売約済なの」
 清香のセリフにきょとんとする一同。
「えっなにそれ、いつの間に!」
「誰に?」
「生徒会の後輩」
「ああ……清香には熱狂的なファンクラブがいるもんね。女子の」
 色めきたった一同が一斉に納得する。
 この中学校には、卒業式の日に、女生徒が愛用しているリボン、もしくはスカーフを交換するという密かな伝統があった。同性同士で交換すると友情を深め、異性に渡すと告白となる。第二ボタン≠フ女生徒バージョンである。
「ちぇ〜みんなで交換しようと思ってリボンを死守してたのに」
「嘘ばっか。あげたいひといなかったくせに」
「うるさいな〜! あんたも彼氏いないじゃん」
「じゃあ四人で交換しようよ」
「――ちょっと待った」
 清香が倫の肩に手を置く。「残念ながら、倫のリボンも売約済なのよ。ね?」
「えっちょっと、清香!?」
 倫が赤面する。
「えーっなにそれ!」
「聞いてないわよ」
「誰に? クラスの男子?」
 一気に盛り上がる三人。倫が狼狽していると、歓声を聞きつけた生徒指導の教師が怒鳴り込んできた。
「こら、お前ら! まだ残ってるのか!」
「げ」
 生徒指導の男性教諭が眉を吊り上げる。神経質な彼は常に生徒の行動を監視し、成績優秀者以外には手厳しいと評判の教師だった。故に、生徒間ではあまり人気がない。
「さっさと帰れ! ……ん、宮瀬もいたのか」
 清香に目をとめ、彼は腕組みをして室内に入ってきた。
 学年首位を争っていた清香以外はみんな黙り込む。
「お前はあの不真面目な兄貴と違って、最後まで良い生徒だったな、宮瀬。あいつの妹が入学してくると聞いた時は覚悟したもんだが……生徒副会長まで務める優秀な生徒で、先生は安心したんだよ」
 彼は成績が振るわない生徒のことを卒業後も覚えており、その兄弟にネチネチ嫌味をいう性格だった。
 ――ひどい! なんてこと言うのよ、こいつ。 
 倫達が気付かれないように教師を睨みつける。
 家族を批判された清香だが、特に気に留める様子もなく、涼しい顔で微笑んでいる。
「ま、とにかくお前たち早く下校するように。まったく、最後まで手のかかる……」
 背を向けて教室を出ていく彼に、倫達は――もちろん清香も――あかんべえをした。
「なによ、あいつ。一言くらい言ってやれば? 清香」
 怒りのおさまらない倫。
「いいのよ、自分が絶対って思ってるんだもの、意味ないって」
 大人な清香の発言に感心する一同。
「でもほんと、あいつって陰険なんだから」
「きっとアルバムの寄せ書き、誰からも声かかってないよ」
「当たり前よね、あんな嫌味なやつ――」
「ああ、そうだ……館!」
 悪口の張本人の再登場に硬直する一同。
「靴箱の名前、きちんと消えてなかったぞ。ちゃんと消しておけ!」
 間髪入れず濡れぞうきんが飛んでくる。それをキャッチし、今度こそ去っていく彼の足音に、倫は口元をへの字に曲げ「いーっ」と声をあげた。
「最後まで嫌なやつ!」
「……ま、仕方ない。帰るか」
 鞄と賞状の筒を手に、しぶしぶ教室を出る倫達。
「ねえ、お腹減ったし、いつものカフェでごはんしようよ」
「そうしよ!」
「あ、ごめん、先に行ってて」
 清香が足を止める。「私、生徒会室に行ってこないと」
「ああ、可愛い後輩が待ってるもんね」
「……あたしも後で行く」
 倫がぞうきんを片手に項垂れる。
「大変ね、最後まで」
「同情するわ……倫」
 五人が昇降口に辿りつく。
「じゃ、早く来てね、二人とも」
「特に倫」
「あとでじ〜っくり聞かせてもらうから」
 三人は倫のリボンを指さし、にやにやしながら去っていった。
「あ〜もう、清香があんな意味深なこと言うから……」
 また赤面する倫。
「本当のことでしょ? ちょうど兄貴、今日帰ってくるし」
「え!? 聞いてないよ!?」
「だから、久しぶりにウチでご飯食べない? というか、来・る・わ・よ・ね?」
 凄む清香。
「え、ちょ、そりゃ行きたい……けど、でも、そんな急に……」
 学年指導の教師に舌を出していた威勢はどこへやら。急にしどろもどろになる倫。「だってさ……修治さんと会うのって……さ、三年ぶりだし」
「そう。バンドマンになりたいって夢を追いかけて、東京の高校なんかに行っちゃうからね。その前に告っとけばよかったのに」
「そんなの……」
「だって、小さい頃から好きだったわけでしょ? なのにろくにアプローチもしないで……見ててどれだけじれったかったか」
「う……そ、それは」
「どうするのよ? 東京でカワイイ彼女作ってたら」
「えっ! そんな……」
 思わず焦る倫の姿に、清香が苦笑する。
「冗談よ。音楽バカだから彼女なんていないわよ、きっと」
「そ……そうかな?」
「でも、これからもそうとは限らないわよ」
「う」
 清香が倫の胸元を指さす。
「丁度いいじゃない、それ使って告白しちゃいなさいよ。いくら伝統って言っても女同士で交換してたんじゃ色気ないわ。兄貴だって三年前までこの学校に通ってたんだから、渡すだけで気づくわよ」
「でも……」
「――さて。じゃ、生徒会室行ってくるから、ちょっと待っててね」
 言いたいことだけ言い、清香はさっさと廊下の奥へ去って行った。
「もう……他人事だと思って!」
 ため息をつく倫。
 ――そりゃ、何度も告白しようって思ったけど……。でも、どうしてもできなかったんだもん。
 清香の兄、宮瀬修治は、三年前まで倫と同じ中学に通っていた。しかし、一年生の頃にクラスメートとバンドを結成し、文化祭でゲリラライブを行ったため、件の生徒指導教諭に三年間を目をつけられることになってしまった。
だから、あいつの攻略法はただひとつ、じっとおとなしく説教を聞いとくことだ。間違っても反抗しないこと。そうしたらあいつは得心がいって、すぐに説教を終える。けど、何かひとつでも口答えしたら、今度こそ日が暮れるまでガミガミ言われるよ
 入学する前に修治が教えてくれた忠告を思い出し、倫はふっと笑った。
 ――修治さんと、清香とあたし。小さい頃から三人で兄弟みたいに育って……いつの間にか、好きになってた。自覚したのは修治さんが進路を東京の高校にしたって聞いた時だったけど、きっと、そのずっと前から好きだった。
 いつも穏やかで優しくて、面倒見のいい修治さん。
 その修治さんが、あの時だけは――おばさん達に何度反対されても負けないで、三年間、アルバイトと学業を両立させるっていう条件でやっとご両親を説き伏せたのよね。
 清香によると、修治さんは友達と二人であっちでバンド活動を続けてて、東京の大学に進路が決まったらしい。だから今回帰ってきたのだって清香の卒業祝いのためで、四月になったらまたあっちに戻っちゃうんだ。
 三年前――修治さんを見送る時、あたしは、自分で自分の道を切り開いた修治さんの姿があまりにかっこよすぎて……まともに顔が見れなかったっけ。
 それでも、修治さんはそんな私の頭をポンポンって撫でて優しく笑ってくれた。
 それだけで胸が高鳴ったけど、同時に、やっぱり私はまだまだ修治さんにとってコドモ≠ネんだって自覚した。まあ、当時の私はショートカットだったし、男子に混じってサッカーするほどお転婆な性格だったから仕方なかったのかもしれないけど。
 でも、修治さんに会えなくなっちゃうことよりも、そっちの方が悲しかった。
 髪を伸ばそうと思ったのは、あの時がきっかけ。無駄かもしれないけど、いつか出会った時に、あの頃より少しは女の子≠ニして見てもらえないかな? なんて、柄にもなく期待してる自分がいた。
 ――だけど、だけど、まさかそれが今日だなんて……急すぎるって!
 なんて顔したらいいんだろう、お久しぶりです……とか言ったり? なんか変な感じ。
 でも、あれから三年……修治さん、きっとすっごくかっこよくなってるんだろうなあ……。
 そこで胸元に目を落とす倫。
「一応、ちゃんと洗濯はしてきたけど……」
 清香と交換することで、あわよくば本人の手に渡らないかという他力本願な考えはあった。
 ――だけどまさか、直接渡すなんて……!
「う、受け取ってくれるかな……修治さん……」
 大きなため息をついた時、
「――おい、館! まだいたのか」
 我にかえると、先の生徒指導教諭が昇降口に立っていた。
「掃除は終わったのか?」
「え」
 すっかり頭から抜けていた。
「あ……はい、もう少しです」
 思わず作り笑顔をする倫。
「ふん。さっさと終わらせろよ」
 肩をいからせながら去っていく背中を確認し、倫は大きくため息をついた。
「もぉ。ムードぶち壊し」
 しぶしぶ靴箱のすのこに降り立ち、しゃがみこむ。
 木製の靴箱には、通常、各々の名前が書かれたシールが貼られている。進級の度に各自がそれらを剥がし、次の使用者が新しいものを貼るのだが、前使用者のシールの剥がし残しについても生徒指導教諭は厳しくチェックしていた。
「まったく、細かいんだから……」
 一年間貼り付けられていた粘着部分は濡れ雑巾を押し当ててもなかなか剥がれない。倫の名字館≠ヘクラスで一番最後の出席番号だった為、使用する靴箱は最下段。無理な体勢で屈み込みながら格闘する倫。意地になって爪で引っかくと、粘着部分を残して表面のみが薄く剥がれた。
「あ〜やっちゃった」
 雑巾で根気よく拭き消していくしかない。
 またひとつため息をつきながら雑巾を持ち替えた時、粘着部分の下にある前使用者の名前が透けて見えた。
「なーんだ、前の人だってちゃんと剥がしてないんじゃない」
 全体的に薄くなっている為判別しずらかったが、なんとか……木 一美≠ニ読めた。
「あたしが出席番号四十番だから、このひとも『や』行か『わ』行の名字だったのかな」
 何度かごしごしと雑巾を押し付け、ようやくシールの痕跡を消すことができた。
「……よし」
 雑巾を洗って傘立てにかけると、倫は昇降口をぐるっと見回した。目の前には、ガランと空いた三年生の靴箱がある。
 ――明日になったらここに二年生の靴が詰まって、二年生の靴箱には一年生の靴が移動して……。春になったら、一年生の靴箱も真新しい靴で埋まるんだなあ。
「あ〜なんだか不思議」
 ――毎年見てた風景なのに、とうとうあたし達が卒業する番なんだなあ。
 あたしと清香は高校も同じだけど、リツ子とノーコは県外に行っちゃうし、マリは有名進学校だからきっと忙しくってなかなか会えなくなっちゃうんだろうな。
 清香は心配しなくても、高校で新しい友達もできるし、みんなだって引っ越しちゃうわけじゃないんだから、会おうと思えばいつでも会えるわよ≠ト言うけど。
 やっぱり、ちょっと寂しい気がするなあ。
 ――俯く倫の頬を、春の暖かな風が撫でる。
 ほとんどの生徒は既に下校したのだろう、いつもの賑わいが嘘のように、校内は森閑としていた。
 こみ上げる寂寥感を振り払うかのように、倫は大きく伸びをした。
「……さて。清香、遅いなあ。見に行こうっと」
 窓から差し込む暖かな日差しを背に受けながら、倫は廊下の奥へ進んだ。
 生徒会室は角を曲がってすぐだ。
 人気のない廊下に倫の足音が響く。
「やば」
 また先ほどの教師に見つかってしまわないように、倫は足音を忍ばせて歩いた。
 しかし、その努力は徒労に終わる。辿りついた生徒会室からは、廊下にまで轟く歓声が上がっていた。
 ……もしかして。
 ドアの小窓から窺うと、室内は新旧の生徒会メンバーでごった返していた。中でも一際人だかりが多いのは、元生徒会長のイケメン男子よりもむしろ元副会長の清香の方で、号泣する後輩達に囲まれ身動きが取れない様子である。
 ――さすが清香。まるで宝塚ね……。あの中の誰かにリボンをねだられてるのね。
 ふと倫に気づき、清香は目配せでごめん、もう少し待って≠ニサインを送ってきた。
 倫は指でOK≠ニ返し、そっと離れた。
「さて。どうしよっかな」
 生徒会の別れの儀式は当分続きそうである。
 ――だったら……。
 閃き、倫はまた忍足で階上へ向かった。