作品タイトル『メル友』

最終夜:【メル友】

「あ? ……だから、知らねえって。もう飽きたんだよ」
 吐き捨てるように言い、テツヤはケータイを切った。
 その様子を眺め、レイカが笑う。
「……なんだよ」
「ふふ。だって、一年前もそんな感じで切ってたじゃない。えっと……ケイコって言ったっけ?」
「ああ、あいつ?」
 タバコに火をつけ、テツヤは大きく息を吐いた。
 ラブホテルのベッドに裸身で寝そべり、テツヤはイライラと口を開いた。
「ったく、あの女はサイテーだったよ。再会した時、俺に立てつきやがって。付き合ってる頃は俺の言いなりだったくせによ」
「まあいいじゃない、過去の女なんて」
 バスローブ姿のレイカが、洗い髪をかき上げ、ベッドに腰を落とした。
 テツヤは、ケイコと付き合うずっと前からレイカと付き合っていた。体の相性がいいレイカはテツヤにとって別格だった。どの女と付き合っていても決してレイカとの関係は止めなかった。
「そういうお前も、結構色々遊んでんだろ? 最近はレズってる、って聞いたぜ」
「やめてよ」
 レイカが鬱陶しそうにタバコをくわえる。「そんなのもう昔のことよ。思い出したくないの」
 チャットでできた女友達に言い寄られていた時の話をすると、なぜかレイカは途端に不機嫌になる。テツヤはそれを知った上でたまにレイカをからかった。
 レイカは、当時付き合っていた女を、話のネタにキープしながらも、途中から、予防線のつもりで友人を同行させるようになった。しかしその友人が突然事故死してから、レイカはケータイを片時も離さなくなったことに、テツヤは気づいていた。
 ――一体なにがあったんだ?
 気にはなったものの、元来頭を使うことが苦手なテツヤにとって、これ以上の推理は不可。余計な詮索をしてこれ以上レイカに睨まれるのもごめんである。
「なぁ、機嫌直せって」
 タバコを灰皿に押し付け、テツヤはレイカを抱き寄せた。
「もう」
 ふくれっ面の表情を崩し、レイカはゆっくりとバスローブを脱いだ。
 二人の身体は折り重なり、深くベッドに沈んだ。

 三日後。
「――なにやってんのよ、テツヤ!」
 レイカが悲鳴のような声を上げたのも無理はない。彼女の部屋のベッドで、テツヤが見知らぬ女と抱き合っているのを目の当たりにしたのである。
「信じらんない! あたしのベッドで……もう嫌! 顔も見たくない、消えて!」
 ヒステリックに叫び、レイカは会社の資料が詰まったバックをテツヤに投げつけた。
 勢いのついたおもりをもろに顔面にくらったテツヤは、
「……っにすんだよっ!」
 と叫んだつもりだったが、もうそこには誰もいなかった。
「アタシ、面倒くさいのキライ。帰るね」
 言うが早いか、渋谷でナンパした女は手早く着替え、さっさと部屋を出て行った。
「……ちぇっ。いいとこだったのによ」
 テツヤはベッドに大の字になった。
 定職につかずパチンコ通いを繰り返しているテツヤにとって、有能なOLのレイカは、寄生するには絶好の女だった。つまり、テツヤはレイカのヒモだった。
 ――けど、さすがに今回はやばいかもしんないな。
 大抵の女遊びはあいつもいいって言ってたけど、さすがにここじゃあなあ……。
 わかっていながら女を引き入れたものの、テツヤは後悔し始めていた。
 ここ追い出されたらやばいな。どうすっかな……。
 真剣に考えようとしたが、すぐにテツヤは頭を振った。
「ちぇっ。いいや、どうにでもなれ」
 威勢よく呟いてみたものの、さすがに明日からの生活の不安は拭いきれない。
 無意識にタバコを取り出しぼーっと部屋を眺めていると、床に無造作に投げ出されたケータイに目がいった。レイカが投げつけたバックから飛び出たのだろう。特徴的なデコレーションが施されたそれは、確かに彼女のものだった。
 テツヤはベッドから降り、ケータイを拾い上げた。
「そういえばアイツ……やけにこれを大事にしてたよな」
 何か見られたくないものでもあるんじゃないのか? 
 思い当たるのは、男とのメールだ。
「……まさかアイツ、出会い系とかやってんじゃねえだろうな」
 そういうテツヤはもちろん一夜の相手を探すために常時利用させてもらっているのだが、いざ自分の女が同じことをしていると考えると、無性に腹が立ってくるのだった。身勝手な話である。
「ケータイを置いていったのはあいつだし……ちょっとくらいいいだろ」
 にやっと笑い、テツヤはケータイを開いた。
 フェミニンな待受画面の下に、たくさんのショートカットがある。主にグルメナビのサイトだった。
「女って色々大変だな」
 勝手なことを言いながら眺めていると、その中に明らかに違う雰囲気のアイコンがあった。
 ――サイト・受信。
「なんだこれ?」
 好奇心でアクセスすると、視界に大量の文字の羅列が飛び込んできた。
「げっ」
 薄い単行本の背表紙を見ただけで頭痛が起こるテツヤにとって、活字を凝視することは生き地獄を意味していた。
「うえっ。やめやめっ」
 早くも痛み始めるこめかみを押さえ画面を強制終了しかけたテツヤだったが、ちょっとしたイタズラを思いつき、あるページの『書き込み』ボタンを押した。
 ――小説とか書くやつってのは、どうせオタクとかだろ。
 からかうつもりで、テツヤはこう打ち込んだ。
〈こんなとこでキモい妄想ひけらかしてんじゃねぇよ。オタク野郎〜/T男〉
 書き込み完了の画面に切り替わった瞬間、部屋に、ドアが壁に叩きつけられる轟音が響いた。
 驚いて顔を上げると、レイカが蒼白な表情で玄関に立っていた。
「あ、レイカ」
「――さわんないでよ!」
 靴を履いたまま物凄い勢いでテツヤの元へ駆け寄り、レイカはケータイを引っ手繰った。
「あんた、何もしなかったでしょうね!?」
 レイカが般若のような形相で凄む。
「え……えっと」
 今まで見たことのない姿に、テツヤは呆気にとられていた。
「その……ちょこっとだけ、書き込みを……」
「――書き込み?」
 レイカの動きが止まる。「どのサイトに?」
「えーと……なんだったっけな。小説とかが載ってたやつ。ショートカットにあったから、つい……」
 真っ青になるレイカ。
「ウソ……そんなはず――」
 叫ぶが早いか、レイカはケータイを開きネットの履歴を辿り始めた。「だって、そんな……あたし、登録なんてしてない、ブックマークもしてないのに……」
 泣きそうな声で繰り返していたレイカの動きがピタッと止まった。画面の一点を見つめ、凍りついている。
「れ……レイカ?」
 沈黙に耐えきれず、テツヤは彼女の顔を覗き込んだ。
 血走った眼を見開き、レイカはゆっくりとテツヤを見た。
「この……ハンドルネームって……まさか」
「?」 
 テツヤが画面を覗き込むと、ついさっき書き込んだばかりの幼稚な文面がそこにあった。
「ああ、そのT男ってのが、俺……」
「いやあああぁぁっ!」
 絶叫し、レイカはテツヤを思い切り突き飛ばした。はずみで後頭部を床にしたたかに打ち付け、テツヤは「いってぇなコラ!」と悪態をついた。
 しかし、レイカはテツヤの頬を張り、狂ったように叫んだ。
「ろくでなし! 最低よ……あんたのせいで……あんたのせいであたし……いやああァァッ!」
 喚き、怯えながら、レイカはバタバタと部屋を飛び出していった。
 テツヤはレイカの態度についていけず、
「なんなんだよ、変な女」
 と呟いた。
 
 それから五日、レイカが部屋に戻ってくることはなかった。
 困ったのはテツヤである。
 パチンコで得た微々たる生活費も底をつき始め、光熱費の支払いどころかどころか食べることすらままならなくなっていく。
「どうすんだよ、ちくしょお」
 ベッドに転がり、テツヤは出会い系サイトを眺めた。
 ――レイカももう無理みたいだし、急いで新しい女を見つけるしかないな。
 タバコを吸っては潰す、を繰り返し、テツヤはひたすら目ぼしい女にメールを送りまくった。大抵、男性からのメールに対する返信率は低い。数をこなすしかないのである。
 灰皿がタバコで埋まり、二箱目のケースを握りつぶした時、女からの奇跡的な返信が来た。
〈はじめまして。都内に住んでるナナエだよ。よかったら今日遊ばない?〉
 ――マジかよ! ついてるぜ。
 俄然やる気になり、テツヤはベッドに座りなおした。
〈鬼ヒマ。飯でもいこうぜ〉
〈やった〜(*^^)vどこにする?〉
〈合わせる。どこでもいいよ〉
〈じゃあ、お気に入りのお店教えてあげる〉
 ナナエは都内にある有名バーの名前を告げた。
〈実は俺、今金ねえんだけど〉
〈だいじょうぶだよ、おごってあげる☆〉
 なかなか気前がよさそうだ。
 テツヤはナナエを次の女候補に決めた。

 ナナエとの待ち合わせは18時、バーの前で、とのことだった。
 浮かれたテツヤは、珍しく待ち合わせの10分前にはそこに着いていたが、まだ店の前にそれらしい女性はいなかった。ついでに店内も覗いてみるが、まだ時間が早いのかスーツ姿の男が一人カウンターにいるだけだった。
 タバコを吸いながら時間を潰すが、1分1分が酷く長く感じられた。
 待ちきれず、テツヤは待ち合わせの5分前に電話をかけた。
『はーい、奈々江だよ』
 明るい声。
「おう、俺、テツヤ。もう店の前にいるんだけど」
『ほんと? ごめんね〜ちょっとだけ遅れそう。今、駅なの』
 甘く響く声。テツヤは勝手に奈々江の容姿を想像した。――20歳前後のおしゃれに敏感な女子、顔も当然かなり可愛くて男慣れしてる。アッチもかなり積極的だろう。マジでついてるぜ。
「ああ、いいよ、俺がそっち行くから、駅にいろよ」
 好き勝手に妄想し、テツヤはわざと余裕のある態度を見せた。
『えっほんと? ありがとう! 南口にいるよ〜』
「オッケー」
 弾む足取りでテツヤは駅に向かった。
 広いロータリーと居酒屋が並ぶ華やかな北口とは違い、駅の南側は外灯もまばらで錆びれた雰囲気だった。利用者も少ないらしく、辺りに人影はない。
 ナナエらしい女性の姿が見当たらず、テツヤは舌打ちをしながら再度彼女に電話をかけた。
 しかし、今度はいくらかけても繋がらない。無機質な呼び出し音だけが耳に響く。
「どうなってんだよ」
 もう一度舌打ちをし、テツヤは辺りを見回した。
 ねっとりとした夜風に街路樹がざわめき、まばらな街灯の光をちらちらと遮る。輝きが届かない歩道の隅には濃い闇が澱んでいた。
「……薄気味悪ぃ」
 身震いした時、握りしめていたケータイが鳴った。
「もっし?」
『あ、テツヤさん?』
 ナナエだ。
「なあ、南口にきたけど、どこにいるんだよ?」
『……ふふ。トンネルの中よ』
「はあ? なんだって?」
『トンネルよ。う・し・ろ。振り返ってみて』
 言われるまま背後を向くと、暗く沈んだ茂みの奥に淡い光が差し込んでいるのが見えた。
 ――あれか?
 漏れる光の向こうからかすかに酔客の笑い声が聴こえる。
 トンネルは高架をくぐり駅の北口へ繋がっているようだった。
『ね、テツヤさん。こっちにきて。ふふ』
 耳元に艶めいた声音が響く。
 街灯の光はトンネルの中までは届かず、ここからナナエの姿は見えない。
 ぽっかり空いた闇の入り口。
 本能的に恐怖を感じたが、テツヤは自分の欲に負け、トンネルへ向かった。
「……へへ、大胆だなあ、外でヤリてえなんて」
 強がりで恐怖を振り払う。
 テツヤは通話状態のままトンネルの手前で立ち止まった。
『ふふ、やぁだ、テツヤさんってば』
 トンネルに反響する声と電話口のそれがいびつに重なった。
 この奥にナナエがいる。
 確信し、テツヤは、伸ばした指先も見えないほどの濃い闇に足を踏み入れた。
「……ナナエ?」
 闇に、戸惑うようなテツヤの声が反響する。
 間を置いて、トンネルの中からカシャンッという乾いた音が響き、テツヤのケータイがクルクルと回転しながら外灯の下へ滑り出た。
「あ……あ……うそだろ――うわああぁぁあ!」
 闇を裂くようなテツヤの絶叫は、次の瞬間、重く鈍い音が反響するや否や、ピタリと止んだ。次いで、むせ返るような金臭い臭気が立ち込める。
『ふふふふ……』
 後を引く妖艶な声音を最後に、通話状態だったテツヤのケータイがブツッと切られた。
 何事もなかったかのように、辺りに静寂が戻る。

 ――数分後、通りがかった一人の酔客が、画面を開けたまま転がっているケータイに気付き、拾い上げた。しかし、充電切れなのか黒い画面のまま動かない。
「ガラクタじゃねえか」
 興味をなくし、酔客は傍の茂みにケータイを放り投げ、歩き出した。
 ピリリリッ。
 ふいにメールの受信音が響き、びくっと体を震わせる。
「……っとに、誰だよ、一体」
 ズボンから自身のケータイを取り出すと、差出人不明のメールが届いていた。
 【『サイト・受信』への招待メールです ぜひ感想を聞かせてね】
 他愛のない文言と共に長いURLが記載されている。
「……あ? なんだ、流行りのケータイ小説かよ」
 暇つぶしに眺めながら、酔客は家路へと歩き去った。

 その夜、また一つ、『サイト・受信』への書き込みが増えた。